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ラノベ左翼・右翼度テスト・さらなる解説

いろんなところから、「基準がわかんねぇ」「定義がわかんねぇ」とお叱りを受けているので、もちっと詳しく解説。…というか、思考を無秩序に垂れ流してみるテスト。


そもそも「○○鑑定みたいなのを作りたいなぁ」→「よし、ラノベ左翼・右翼度鑑定と銘打ってみよう」→「さて、ラノベ左翼・右翼ってどんなんだろうなぁ」というような、超後付け設定で作られた概念なので、明確な基準や定義はないんですよね。申し訳ない。


ただ、最初にあったのは「古参=右翼、新参=左翼」的なイメージです。


ライトノベル」というものの成立以前からラノベを読んでいた人たちは、「ライトノベルが好き」なのではなく「○○(作家名)が好き」「××(作家名)が好き」だったのではないか。「ライトノベル」ではなく、あくまで「小説」として捉えていて、自分の中に確固とした「好きな小説」がある。それが「ライトノベルとはこうあるべきだ」という思いに繋がっていく。それ故に最近の「萌え系」に対しては「萌えもいいが、もう少し読み応えのある小説を出してくれ」となるし、一般文芸へ進出することに対しては「そんなことする暇があるなら○○の作品を出せ!」となる。結果、ライトノベルに固執していないくせに、ライトノベル原理主義的で攻撃的な考えに陥りやすい。いまさら一般文芸に迎合してどうする、みたいな。


ライトノベル」成立以降の読者は、「ライトノベルが好き」なのであって、それが「好きなものはライトノベル」という思いに発展していく。安易な萌えが入っていようが、それも受け入れて楽しめる。ハードカバーだろうがイラストなしだろうが、それでも「ライトノベル」に違いない。「あなたがそうだと思うものがライトノベル」なんだから。よって、一般文芸への進出は、「ライトノベルの一般文芸化」ではなく「一般文芸のライトノベル化」と捉えられる。ただし、ライトノベル原理主義的な、先鋭的な思想は持っていない。「みんなライトノベルでいいじゃん」という、ある意味、平和な思考。



こんな感じなんじゃないかと思います。もちろん、ライトノベル成立以前・以降で機械的に分類するのではなく、ライトノベル成立以降の読者でも思考がラノベ右翼的であればラノベ右翼なのですが。


ああ、わかりにくくてごめんなさいごめんなさい。