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「選択の余地がない=成長しない」について

# crow_henmi 『はじめまして。学園異能についていろいろ考えているものです。論考を興味深く拝読させていただきました。ヒロインと主人公の関係性については深く同意します。ただ、「選択の余地がない=成長しない」という点については疑問があります。選択の余地のない状況でそれに適応するために覚悟を決めることもまたひとつの成長の形であろうし、その過程で自らが力を得て選択権を得るような展開もありうると思います。その辺りいかがにお考えでしょうか。
 後、物語的な面での主人公と語り手が一緒である必要性を特に感じないので、主人公が成長せずヒロインが成長する物語というのは、ビルドゥング・ロマン的にはヒロインこそが「主人公」であって主人公は「視点人物」あるいは読み手の物語導入用ペルソナと考えるべきなのかもしれないなどと思いました。
 長文失礼いたしました。』 (2006/04/11 12:01)


学園異能のヒロインはたいてい、戦いに明け暮れて日常を知らない少女として描かれます。そんなヒロインが、新しい世界に触れ、いままで持たなかった多くのプラスを得ていく。それが成長です。


主人公が非日常に取り込まれるのは、つまりマイナスの状況に叩き落されることです。それを受け入れる覚悟によってようやくゼロ地点に立つ。それは葛藤とか成長とか言えるものではない。そこから主人公の非日常生活がスタートし、これから主人公は成長していくのです。


しかし、学園異能では主人公の非日常生活は描かれません。非日常側の人間になっても、主人公はあいかわらず学園の中で友だちと弁当を食べています。最初は「自分は日常側の人間だから」と、最後には「学園のみんなを守るため」と、日常に留まったままでいる。日常に踏み込んできた敵との戦いは、主人公にとって日常から非日常へ移るあいだのモラトリアムなわけです。


灼眼のシャナ』の悠二は*1、「この戦いが終わったらシャナと旅に出よう」と考えます。日常に踏み込んできた敵を倒して日常の安全が保証されたとき、はじめて主人公は非日常へと旅立てる。しかし、学園異能は「戦い」を描く作品であるが故に、戦いが終わった後の主人公の非日常生活は描かれません。そして、主人公が成長する姿を描くこともない。


つまるところ学園異能においては、主人公の成長、あるいはヒロインの成長でさえも、重きが置かれていないのではないかと。たしかに主人公もヒロインも物語を通して成長していくかもしれない。しかし、それは主題ではない。主人公はあくまで日常と非日常を同時に読者に見せるための「眼」にすぎなくて、ヒロインは主人公に非日常をもたらす存在でしかない…と。


あんまり考えがまとまってないです…。


たぶん各自が重視する点が、


id:kazenotri=日常と非日常が対比される構造
id:kim-peace学園異能な作品
id:crow_henmiビルドゥングスロマンとしての学園異能
id:REV=主人公の特権性
(敬称略・順不同)


なのではないでしょうか。
勘違いだったらすみません。

*1:『シャナ』は友だちのを借りて読んだだけなので、うろおぼえなところがあるのですが