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「ハルヒ」というキャラクター、「学校」というステージ

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060526/1148570661
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060527/1148660175
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060528/1148746304
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060529/1148865679
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060530/1148953073
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060531/1149010744
6回にわたってお送りした「ハルヒ特集」も今回でラストです。


学校を出よう!(以下、『学校』)』というシリーズがあります。『涼宮ハルヒ(以下、『ハルヒ』)』シリーズの作者である谷川流電撃文庫から出している作品ですね。ライトノベル読みのあいだでは、『ハルヒ』よりも『学校』の人気が高いのではないかと思います。『学校へ行こう!』だとみのもんたになるので注意。

学校を出よう!―Escape from The School (電撃文庫)

学校を出よう!―Escape from The School (電撃文庫)



たとえば『ハルヒ』のあらすじを述べる場合、「世界を改変する能力を持つ少女が巻き起こす問題を普通の少年が宇宙人と未来人と超能力者と一緒に解決する話」というふうに、「キャラクター」を説明するだけで事足りてしまいます。これが『学校』だと、「思春期にしか発現しない超能力を持った子どもたちを集めた学園で巻き起こる騒動を描いた話」というふうになるでしょうか。この場合は「ステージ」を語るだけで十分です。『ハルヒ』は「キャラクター」主導、『学校』は「ステージ」主導の作品なのです。


ハルヒ』における宇宙人・未来人・超能力者は、涼宮ハルヒという「キャラクター」に要請されて存在しています。しかし『学校』のキャラクターたちは「ステージ」に要請されて存在している。『学校』に登場する宮野秀策というキャラクターは、「ステージ」から飛び出して、より上位の存在になることを求めます。裏を返せば、『学校』のキャラクターたちは「ステージ」に囚われているということになります。「ステージ」に囚われたキャラクターは、キョンやハルヒや長門ほど魅力的には見えないと、私は感じています。


ああ、別に『学校』がつまらないというわけではないのですよ。『涼宮ハルヒ』シリーズのSFチックなところが好きな方には『学校』を強くお薦めいたします。ちなみに『学校』は二巻からが面白いとの評判なので、一巻で切ったらもったいないですよと忠告しておきますね。


谷川流作品以外で「キャラクター」と「ステージ」とに綺麗に分かれている作品と言えば、まず思い出すのが岩井恭平の作品です。『消閑の挑戦者』はヒロインの鈴藤小槙がストーリーの中心ですが、『ムシウタ』は「虫憑き」という設定がストーリーの中心となっています。どちらもお薦めですが、個人的にはやはり『消閑の挑戦者』の方が好きなんですよね…。

消閑の挑戦者―パーフェクト・キング (角川スニーカー文庫)

消閑の挑戦者―パーフェクト・キング (角川スニーカー文庫)


ムシウタ〈01〉夢みる蛍 (角川スニーカー文庫)

ムシウタ〈01〉夢みる蛍 (角川スニーカー文庫)



ハルヒ特集」なのに『ハルヒ』で終わらないとはこれ如何に。