WINDBIRD::ライトノベルブログ

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定義論は定義するためにあるんじゃなく論ずるためにあるのです

以下、適当に書き散らかします。
誰かが読むことを想定してませんので余計な説明も入れません。←余計な説明。


中高生向けのエンターテイメント小説。


中高生向けは中高生向けなんですけど、それはなんか表面的なんですよね。「中高生向けでないライトノベルは存在するか」と言われればあるように思える。まあ、「範馬勇次郎はどんな人間にも勝つように思える」レベルの話なんですけど。


エンターテイメント小説。そう思っていた時期が俺にもありました。エンターテイメントでない小説は純文学。では、純文学とエンターテイメントは両立できるかと言われれば、これは間違いなくできます。えらいひともゆってます→http://www.youtube.com/watch?v=grt-u6ZY-4I。純文学なライトノベルもできますし、エンターテイメントでないライトノベルもできるはずです。


そうやって削っていきます。中高生向けでないライトノベル? エンターテイメントでないライトノベル? 挿絵のないライトノベル? ハードカバーのライトノベル? 小説でないライトノベル?…どれもできるような気がします。


宇宙にはまだ誰も見たことがない「ライトノベルらしさ」があって、それがどんなものかは分からないけれど、誰もがそれが在ることを知っている。「ライトノベルらしさ」が入ればどんなものでもライトノベルになる。ゲームに入ればそれがライトノベルになる。太宰治作品に入ればそれもライトノベルになる。吉野家の牛焼肉丼に入れば牛焼肉丼もライトノベルになる。でも「ライトノベルらしさ」にも好みがあるので、普段の「ライトノベルらしさ」は中高生向けのエンターテイメント小説に入っていることが多いです。それが絶対じゃないけど。


異常!
じゃない以上!