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小説を評価するための2つの方法

Something Orange - 「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。について……なんだけど、元の話題を把握できているかどうか自信ない。明後日の方向に暴走して、まったく関係のない話になってるような気もする。


さて。


小説はいくつもの要素から成り立っているけれど、自分はそれを大きく3つに分けている。「設定」「物語」「文章」の3つ。5つならそこに「人物」と「構成」が加わる。そして、それぞれの要素は、さらに細かい要素から成り立っている。…ここまでは俺自身の感覚的な話ね。別にこの分類について是非を問うているわけではないので。


さてさて。


小説を評価する方法の一つとして、それぞれの要素について個別に評価していくものがある。「設定が興味深かった。構成がよかった。人物もよかった。文章はいまいちだった――」みたいな。小学生の読書感想文のような。じゃあこれを「小学生評価」と呼ぼう。ちなみに私はこのタイプだ。


小学生評価がひとつの評価方法だとして、もうひとつの方法として総合的な評価を重んじるものがある。要素を分けて考えず、それぞれがどう絡み合っているかを分析する。「家族の設定が主人公の内面に一層の深みを与えつつその葛藤を圧倒的な文章力で描き切っていて――」みたいな。書評家っぽい人はたぶんこちらなので、「書評家評価」と呼んでおこう。


カレーに喩えると、小学生評価は「ひゃっほう肉うめえよ」と言うような感じ。書評家評価だと「よく炒められた玉葱がカレーのコクを引き出しているのだ」みたいなことを言う感じ。


さてさてさて。


小説を読んだときに、その登場人物が特に魅力だったときのことを考える。その作品を小学生評価で評価するとすれば、「いろいろよかったけど、特にキャラクターが素晴らしかった」という風になるだろう。なぜごちゃごちゃと設定や文章について語る必要があろうか。ビーフが美味しかったんだから、福神漬けには言及しないのである。


しかし書評家評価的に見れば、それではマズい。なぜそのキャラクターが魅力的なのか、背景にある設定や物語にまで言及しないと評価したとは言えないから。福神漬けがあるからこそカレーの美味しさが引き立つのだ。福神漬けのないカレーなどカレーではない。


書評家評価から小学生評価を見れば、まるで肉しか味わっていないように見える。なんて不幸なんだ。ジャガイモや人参も味わったほうがいい。カレールーとよく絡めて、ライスと一緒に食べるんだ。…みたいな。肉しか食べないでカレーを語るひとたち=「キャラ」を見ていながら「作品」を見ないひとたち?


しかし、小学生評価の人だって、人参をちゃんと食べている。ジャガイモだって残してない。ただ「肉がすごく美味しい」と言っているだけなのだ。……だけなのかなぁ。もしかしたら、肉しか食べないで人参を捨てている人がいるのかもしれないけど。「カレーが染み込んだ肉」だけが好きという人。そんな人たちのために「カレー味のビーフジャーキー」を発売しました、というのがキャラクター小説なのかなぁ。


わっかんね。カレー食いてえ。