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褒めてばかりの読書感想サイトと、健気な美少女作家のこと

http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080104/1199387682
関係あるようなないようなことを書いてみる。


リンク先は主にネガティブな書評(あるいは書評ブログ)についての話だけど、世の中には「褒めてばかりのサイトは参考にならない」と言う人もいる。どんな球に対しても「速い速い」と言っていると、「遅い球にも『速い』って言ってんじゃねぇの?」と疑われてしまう、ということだろう。個人的には、どんな球でも速く感じられる人だっていると思うんだけど。


たとえば「ラストが駄目だったけどそれ以外は面白かった」と書くのと、「途中まで面白かったけれどラストが駄目だった」と書くのとの違い。それを読む人は、前者を「高評価」、後者を「低評価」と捉えるのではないか。これは単なるレトリックの問題というだけではなく、気に入らないところを切り捨てて評価するか、気に入らないところも含めて評価するかの違いが大きいのだと思う。作品の構成要素を分解して読むようなスタイルだと、一部が駄目だったとしても全体の評価は変化しない*1ライトノベル界隈だと特に、「ストーリーはいまいちだけどヒロインが可愛いからいいや」という人が、たぶん多いんじゃないだろうか*2


また、視点を変えることで、つまらない作品でも面白く読めることがある。代表的なものとしては「テニプリはギャグとして見れば面白い」というやつ。気に入らない作品から気に入らないところを切り捨てていった結果、本来の作品からは掛け離れた、というかまったく別の作品として受容するようになる。読者としてはそれでいいと思う。つまらないと感じるよりはおもしろいと感じる方がいいのだから*3


しかし「テニプリはギャグとして見れば面白い」というのは、id:m_tamasakaさんが仰るところの「見当外れなことが書かれた書評」に近いのではないかと思う。まあ最近のテニプリは狙って書いてるんだろうけど、いちおう本来は正統派のスポーツ漫画だったわけで、それをギャグとして捉えるのは、たとえ高く評価していたとしても、やはり見当外れだろうと思う。


そのあたりどうなのだろう。自分が意図したのとはぜんぜん違う楽しみ方をされて、それでも作家はうれしいものなのだろうか。「読者さんが喜んでくれるなら別にいいよ…」と健気に頑張る美少女作家はとても萌えるけれど。

*1:水密隔壁みたいなイメージ

*2:…俺だけか?

*3:褒めるより貶すほうが好き、というサディスティックな人もいるだろうけど