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「一律の感想を抱かせる作品」と「多様な感想を抱かせる作品」と?

まずは以下の文章をご覧ください。
東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案 質問回答集(PDF注意)

なぜ、小説は規制の対象になっていないのですか?


小説は、その表現に用いられる言葉が様々であり、それを読んだ人の年齢、性別、経験、読解力などにより、捉え方や感じ方が千差万別であって、絵や映像のように一律・具体的・客観的な印象を与えるものとは言えません。例えば、性器や性交を表す言葉自体多岐にわたり、どんな子供でもすぐにその意味が理解できるものではありません。
これに対し、漫画などの「絵」は、年齢にかかわらず、何を表しているかを見るだけで具体的に捉えることが可能です。

条例改正案の是非はさておいて、この文章を読んで私はこう思いました。
「小説だって一律・具体的・客観的な印象を与えることができる!」
けれど、また別の場所で、このような意見を言っている人を見かけました。
「漫画だって読者の捉え方や感じ方は千差万別だ!」
言っていることはまるで逆なのに、両者とも憤慨しています。つまり、ここには二種類の価値基準が存在しているのです。「一律・具体的・客観的であることを良しとする」というものと、「読者の捉え方や感じ方が千差万別であることを良しとする」というものです。


作者の想像力は、もちろん読者の想像力よりも豊かなはずです。しかし、文章あるいは図画による描写には限界があり、作者の想像を100%の精度で読者に伝えることはできません。よって二種類のアプローチが生まれます。ひとつは、できるかぎり描写を明確にして100%の精度に近付けようとするもの。もうひとつは、逆に描写を曖昧にして読者の想像を最大限に生かすというもの。前者が「一律の感想を抱かせる作品」、後者が「多様な感想を抱かせる作品」ということになるでしょうか。


では、たとえばこの世に「最高の小説」というものがあるとして、まあ「最高の漫画」でも「最高のアニメ」でもいいですが、その「最高の小説」とは果たして、読者に「一律の感想を抱かせる」ものでしょうか、それとも「多様な感想を抱かせる」ものなのでしょうか。私は浅学のラノベ読みですので文学論はよく知らないのですが、(小説家に限らず)作家の方々は、一般にどちらのタイプの作品を目指しているのでしょうか。また、読者の方々は、どちらのタイプの作品を望んでいるのでしょうか。