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学園異能論議は続くよどこまでも

http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20060409#p2

さらに定義のほうには

  • 異能の力を持つことに葛藤があるかどうか


が、必要じゃないかと考えます。


以下、考察。


主人公は自分が日常側に立つ人間だと信じていて、日常側からヒロインの戦いを傍観しているつもりでいる。ヒロインは主人公を「日常にいる幸せな人間」だと感じ、ツンツンする。



しかし、物語が進むにつれ、主人公は自分がすでに非日常側に立っていることに気付く。一方で、ヒロインはいままで知らなかった日常に触れ、さまざまなものを手に入れていく。


主人公はもう戻れない日常に憧れ(というか懐かしむというか)、ヒロインは同じ非日常の側に立つ者として主人公を信頼し、デレデレするようになる。



主人公はなにかを選んだわけじゃなく、受け入れざるを得ないものを受け入れただけである。主人公は異能に出会った時点で強制的に非日常側に取り込まれている。物語が進むにつれて主人公はそれに気付くが、かといって日常側に戻ることができるわけでもない。主人公はただ覚悟を決めるしかできない。主人公に選択の余地はなく、よって成長もしない。主人公は成長していくヒロインをただ見守るだけである。


という構造が学園異能の肝なんではないかなーと思うんですけど。


学園異能の主人公とヒロインはミステリにおける助手と探偵のような関係で、学園異能は「ヒロインの成長物語」なのだと思っています。ヒロインの葛藤は重要だけど、主人公の葛藤はさほど重要とは思いません。というか、主人公が異能もちでなくても構わないとさえ思っています。だから「学園異能について、うだうだ考え中 - WINDBIRD」でもそこには触れていないわけです。


ちなみに、最もスタンダードな学園異能は『灼眼のシャナ』だと思っています。こうやって学園異能について書くときも、『シャナ』を思い浮かべているくらいで。ただ唯一、「クラスメイトが戦いに参加する」という点だけが玉に瑕なんだけど…。


そういうわけで、いまんとこ学園異能・オブ・学園異能はやっぱり『ぼくと魔女式アポカリプス』なのではないかと。ったく、なんで評判悪いんだろうな。もっと讃えられるべき傑作だと思うんですけど。