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オタフィクションにおける「成長」の再定義

とはいえ定義論は不毛なので、適当に思いついたことだけ。


まず、マンガ・アニメ・ラノベ・エロゲにおいて描かれる物語をまとめて「オタフィクション」と呼ぶ。過去に誰かが正式な呼称を考えているはずだが、俺は知らない(もしくは忘れている)ので、いま適当に名付けた。ちなみに、エロゲ以外の普通のゲームは除く。ゲームは物語を描くためのものではないからである。まあ、あんまり使われていない言葉(→オタフィクション - Google 検索。実際にはかなり使われてそうだけどなぁ)みたいだし、一時的な造語として使わせてもらうということで。


さて。ここで言う「成長」は「オタフィクションにおける成長」である。これは普遍的に使われる「成長」と同義でなくてもよく、どっちも「成長」と言うのがややこしければ、それを適当な造語に置き換えてもいい。また造語かよ。


ここまで前置き。


要するに、あらゆるオタフィクションにおける成長は、「選択肢」によって描かれるのではないかということだ。主人公には選択肢がつきつけられる。世界を救うか、ヒロインを助けるか、みたいな。わりと理不尽な選択。主人公は葛藤し、そして最後には選ぶ。選択肢から逃げるというのもまた選択の一つである。そうやって多くの選択肢をこなし、主人公は成長していく。


注意すべきは、成長はあくまで「選ぶ」ことによって為されるものあり、「悩む」ことで成長はしないということだ。葛藤は一種の思考停止だ。同じところをぐるぐると回っている。そこから何かを選び取ってこそ、主人公は「成長」するのではないだろうか。


学園異能において主人公が非日常に取り込まれるのは、主人公がどうあがこうが、選択の余地がないことである。主人公は何も選ばない。選べない。よって「成長」は為されない。


モチのロン、エロゲにおける選択肢も、つまりは主人公の成長を描くためのシステムであり云々。


…などというようなことを、今日はぐだぐだと考えていたんだけど、あんまり辻褄が合わないのでもういいや。この文章によって誰かをインスパイアできたら言うことはない。ほんとうグダグダだなぁ。