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伊達眼鏡を許さない偏狭な守旧派が眼鏡っ娘たちの業界地位を不当に貶めている

ある時は生真面目さを表し、ある時は変人の持ち物となり、
ある時は持ち主の感情を隠し、ある時は人懐こい表情を演出し、
ある時は頭の良さの象徴であり、ある時はドジっ子のアイテムでもあり、
ある時は年上のお姉さんを飾り立て、ある時は大きなレンズが少女を幼く見せる。


眼鏡ほど、多様な意味合いを含んだ、それでいて日常的にありふれたアイテムを、私は他に知らない。眼鏡には浪漫がある。眼鏡には無限の可能性がある。眼鏡を使いこなした者こそが萌え業界の次代の覇権をその手に握ると言っても過言ではないはずだ。


しかるに、それほどまでに素晴らしい眼鏡っ娘が、幼馴染やツンデレほどには流行らないのは何故だろう。それは眼鏡の持つポテンシャルを引き出せていないからではないだろうか。いくら眼鏡が素晴らしいとしても、21世紀にもなってステロタイプな三つ編み眼鏡の委員長などを何の捻りも無く登場させていては進歩がない。勘違いしないで欲しい。三つ編み眼鏡も良い物だ。しかし眼鏡の魅力が三つ編みだけでないのも上に述べたとおりである。


眼鏡っ娘好きとはなかなかに保守的なものである。それを象徴するのが「伊達眼鏡は眼鏡っ娘ではない」と言った類の言説だろう。いかにも眼鏡に深いこだわりがあるように思わせる発言ではあるが、彼らは本当に伊達眼鏡を嫌っているのだろうか。通ぶるためにそう口にしているだけではないのか。眼鏡っ娘の視力の低さに萌える気持ちはよく分かるが、だからと言って伊達眼鏡を否定する必要はないだろうと思う。


「眼鏡」そのものが持つポテンシャルに比して「眼鏡っ娘」の幅は非常に狭い。たとえば、私は茶髪眼鏡が好きだし、金髪眼鏡が好きだが、そうした眼鏡っ娘は決して多くはないのである。「眼鏡っ娘」=「黒髪の大人しい感じの少女」という固定観念が眼鏡っ娘を抑圧しているのであろうか。


いや、眼鏡とはそんな教条的なものではないはずだ。オサレでもいいじゃないか。ファッションでもいいじゃないか。特定の眼鏡っ娘しか認めようとしない偏狭な考えが、本来は多様なはずの眼鏡っ娘の硬直化を招き、そしていま、眼鏡っ娘を脇役の座に押し込めているのではないのか。


かつてツンデレは幼馴染の後塵を拝し脇役に甘んじることが多かったと記憶している。それでもいまやツンデレは萌え業界のエースである。我ら眼鏡っ娘好きが、眼鏡にまつわる想像力を限界まで振り絞れば、眼鏡っ娘もツンデレのように、いや、きっとツンデレ以上のスーパーエースになれることだろう。そんな未来に向かって共に精進していこうではないか。


頑張れ、眼鏡っ娘! 負けるな、眼鏡っ娘
特にコンタクトのCMには絶対に負けるな!!


P.S.
スイートプリキュアに出てくる眼鏡幼女が可愛すぎるんだけど、なんとか第三のプリキュアにはなりませんか。
いや、セイレーンさんも十分に可愛いけどさ…。
http://asahi.co.jp/precure/character_other.html