WINDBIRD::ライトノベルブログ

ライトノベルブログ

「一般文芸」とは何か?

「一般文芸」という不思議な言葉がある。出版業界用語の一種で、普通の辞書には載っていない言葉である。ラノベ業界においては「ラノベ以外の小説」という意味で使われることが多いが、別にラノベ発祥というわけでもない。よく本を読む人でも「そんな言葉は知らなかった」ということも多いだろう。明確に定義されているわけではないし、誰が言いはじめて、いつから使われているのかもわからない。

しかし、いまや我々はインターネットだけで明治以降のさまざまな書籍を全文検索して用例を調べることができる。そう「国立国会図書館デジタルコレクション」である。ありがたやありがたや。というわけで「一般文芸」について検索してみよう。


検索できるかぎりにおいて、おそらく最も古いのが1892年(明治25年)『哲学雑誌』内の一文である。

文學史といふ名稱は文學の歴史即ち「リテラツールグシヒテ」といふ意味なるべしと思ひしに此度の三書は文學史といふ名稱に就いて各其解釋を異にせり
增田、小中村の二氏は文學を以て一般文藝の意に解したりとみえ學校、學術、文字、文章、歌、詩、歷史小說の等の部門に分ちて各其沿革を述べたり

ここに挙げられた「此度の三書」の他の二書は「文学とは国語国文の種類・理論・及用法を攻究する学」だとか「文学史は言語の発達・思想の変遷を語るものなり」としており、それに対して増田・小中村は「文学」を「一般文芸」の意味と捉えてその沿革を述べている、というようなことが書かれている。ここでの「一般文芸」は「和歌」「詩」「歴史小説」などの「文芸作品全般」の意味だと考えていいのではないか。

次に1901年(明治34年)『國學院雜誌』

吾人は儒教道教等の漢學講究と共に、佛教々義の國民間に於ける進歩の狀態を明かにし、一般文藝の發達を知りて以て人麿以下の歌人の現れ來る所以を詳かにせんと欲するもの

この論説は、「儒教道教」「仏教」「一般文芸」などが柿本人麻呂などの万葉集歌人たちにどう影響を与えたのかを研究すべきだ、という話のようで、つまり、ここでの「一般文芸」は和歌以外の「文芸全体」の意味だと思われる。「ラノベ以外の小説」を一般文芸と呼ぶ用法に近いのではないか。

その他の用例を見てもだいたい同様のようである。つまり「一般文芸」とは昔から「文芸全般」「文芸全体」という意味で使われており、特に「あるカテゴリーをテーマにして語っているときのそのカテゴリー以外の文芸全体」を指すことが多い、ということである。


だが、そもそも「文学」や「文芸」とは何を指しているのか。

もともとの「文学」とは「武」に対する「文」であり「書物を用いて行う学問」の意味だった。時代が下るとそれが「詩学」「言語学」「修辞学」「史学」などの書物を研究する学問のことに限定されていった。一方で「文芸」は「文学に関する技芸」という意味でしかなかった。

現在の辞書的な意味での「文学」とは、「言語によって表現された芸術作品のこと」で、小説だけでなく詩やエッセイや評論などが含まれる。そして「文芸」は「文学」と同義である。

「文学」は大きく二つにわけられる。芸術性を追求した「純文学」と、娯楽性を重視する「大衆文学」である。たとえば芥川賞は純文学の賞、直木賞は大衆文学の賞であり、ライトノベルは「大衆文学」に分類される。

ところが、現代で「文学」と言えば、何故か「純文学」を指すことが多い。ほとんど「純文学」の略称になってしまっている。

たとえば「ライトノベルは文学か?」と問われるとき、それは「ライトノベルに芸術性は存在するか?」という意味なのである。

さらにややこしいことに、多くの人は「純文学」と「大衆文学」の区別が付いていない。なので「芸術性を追求した文学と、娯楽性を重視するライトノベル」のような捉え方をして、「ラノベ以外の小説」を「文学」と言う人もいる。酷いときには「ラノベ以外の小説」という意味で「小説」と言うことさえあるのだ。


書店では「文芸書」というコーナーが設けられていることが多い。「文芸書」とはこれまた曖昧な呼称だが、これは実用書や学術書などではなく、コミックや児童書でもなく、文庫でもノベルスでもない、つまり往々にして単行本の小説や詩・エッセイが置いてあるコーナーである。

出版社のほうもそれに合わせたのか、単行本の小説のことを「文芸書」と分類していることがある。

たとえばKADOKAWAの公式サイトでは「文芸書」と銘打って単行本の小説がずらっと並んでいる。
文芸書 | KADOKAWA

講談社では「文芸(単行本)」としてカテゴライズされている。
文芸(単行本) 作品一覧|講談社BOOK倶楽部

おそらく「文学」と書くと純文学、すなわち芸術的な小説のように思われてしまうので、「文芸」と呼んでそれを回避しよう、という意図もあるのだろう。つまり「文芸」が「大衆文学」の意味に近づいていっている。

辞書的には「文学」と「文芸」は同義だと言っても、現場レベルでは微妙に使い分けられ、異なる意味を持っているのである。


そしてラノベ業界では「文芸」と言うだけでも「一般文芸」を指すことが多い。「文芸」と「文芸書」と「一般文芸」を意識して使い分けている人はあまりいなさそうだ。

ラノベは文庫書き下ろしであることが多い(多かった)ので、もとから書店の「文芸書コーナー」には置かれておらず、そのため「ラノベ以外の小説=文芸」という印象が強いのだろう。そもそも「ラノベ以外の小説」を指すのが「一般文学」ではなく「一般文芸」であるのは、そうしたところも影響しているのかもしれない。

たとえば「ライト文芸」は、書店でのラノベの棚が満杯になってしまったので、一般向けの文庫棚にラノベを進出させようとしたものだし。「新文芸」は、Web小説の書籍化の多くが単行本(大判)サイズだったので、書店で置かれる棚がまちまちになってしまい、そこで新しい名前を与えることで新しいコーナーを作ってもらおうとしたものだ。そこには「文芸」を名乗れば既存のラノベコーナーには置かれないだろうという意図もあったのではないか。

ともあれ、「一般文芸」はこの混沌極まる出版業界において「ラノベ以外の小説を漠然と指し示したい」という需要から使われているものであって、実際のところ個々人によってその認識する範囲は微妙に違っているのだろうと思う。


結論。出版業界はもうちょっとカテゴリーを整理しろ。