「ラノベレーベルから出てるのがラノベ」論(以下「レーベル論」)、この明らかにトートロジーな言説が世間に広まったのは、とある横光三国志コラのせいだったと記憶しています(もちろんレーベル論自体はそれ以前からありましたが)。どこが初出なのかもわからないのでリンクは貼りませんが、そのセリフをいくつか引用してみましょう。
最初に断言しておきます。ライトノベルというのは文章の内容ではなくレーベルによる分類です! SFやミステリのような内容によるジャンル分けとは根本的に異なるのネ。
「ジャンル分けではない」というのは正しいですね。SF・ミステリ・ファンタジー・ホラーなどはジャンルの分類ですが、ライトノベルはさまざまなジャンルを含んだプラットフォームなので、コンテンツとしては「漫画」や「アニメ」などと横並びのカテゴリになります。ただし、「小説」という大カテゴリのなかではサブカテゴリ的に扱われている、というあたりがラノベ定義論のややこしいところなわけですが。
ライトノベルを漫画の『少年誌』に置き換えてみましょう。「バガボンドは少年誌か」答えはもちろんNOネ。質問の意味すら不明よ。「スラダンは少年誌か」質問が少しおかしいけど強いて答えればYES。スラムダンクは青年誌で連載しても通用する作品だったネ。でも実際連載してたのは少年ジャンプだったネ? だから分類は少年誌。内容が高尚だろうがスポーツ漫画だろうが関係ないのよ。
これはラノベを「少年誌」に置き換えることの妥当性が示されていません。たとえば、ライトノベルを『漫画』に置き換えてみましょう。「バガボンドは漫画か」答えはもちろんYESネ。と言っても比喩は成り立ちます。このコラの書き手は「大前提としてラノベは若者向けのコンテンツである」と認識しており、それが無意識的に「ラノベレーベルかどうか」の判定に反映されているように思えます。
ソノラマ作品はラノベ? 答はNOです。歴史的にも内容的にもラノベ的でありますが、当時はライトノベルという分類がありませんでした。だからラノベじゃないネ。同様の理由で90年代のスニーカーやファンタジアなんかにもラノベじゃない作品が混じってるけど、これは『ラノベの歴史』で改めて話すとするネ。
「同じレーベルでもラノベじゃない作品が混じってる」というのはレーベル論として破綻してますよね。ちなみに「ライトノベル」という呼称は1990年に生まれ、当時から「ソノラマやコバルトあたりの作品群」が想定されていました。よって「当初からライトノベルに分類されていたかどうか」という基準なら「分類されていたからラノベだ」と言えるし、分類の遡及を認めず「あくまでラノベという分類が生まれて以降に創刊されたレーベルに限る」とするならスニーカーや富士見もバッサリ除外しなければおかしい。まあ分類の遡及を否定する理屈もわかりませんが。
徳間デュアル文庫は迷ったんだけど除いたヨ。創刊当時はラノベ路線だったけど今はターゲット違うしさ。少女レーベルに関しても儂的には非ライトノベル。あっちの方が確固とした歴史があるしね。
今度は「ターゲット層の違い」に基準がすりかわっていますね。こうしてレーベルごとに別の基準を持ってきて都合よく除外するのがこのコラの書き手の特徴です。少女レーベルについても、先述したとおり「ライトノベルという分類が生まれたときに含まれていたか」であればYESのはずなんですが、またまた「確固とした歴史があるかどうか」などといった別の基準を持ってきています。
……とまあ、いくらでもツッコミができる代物で、コラが広まった当時から笑って見ていたのですが。
ただ、このコラの書き手は「どのレーベルがラノベレーベルか」を中途半端に決めようとしたからボロが出てしまっていますが、本来のレーベル論のキモはむしろ「どのレーベルがラノベレーベルかなんてぐだぐだ議論しなくたって分かるだろ」というところにあるわけです。すなわち、本当は皆だってわかってるだろ、ラノベレーベルのコアイメージは共有されてるだろ、少数の例外なんて無視すればいいだろ、細かい定義なんてしなくても伝わるだろという脳筋的なわかりやすさがレーベル論の良いところなんですね。
10年前ならまだそれでもよかった。ところが、現在のラノベではそれが通用しません。なぜなら「共通認識」が崩壊しているからです。
2010年代に入ってからライトノベル業界は爆発的に拡大して「新文芸」や「ライト文芸」といった領域に進出していきました。
「新文芸」は*1、簡単に言えばWeb小説を書籍化したもののことです。おおむねライトノベルとして扱われることが多いですが、四六判やB6判の大判サイズで刊行されていること、そのため書店での売り場が違ったりすること、また読者層も違ったりすることで、ライトノベルと見なされないこともあります。
また、『オーバーロード』『幼女戦記』などのようにレーベルのない「単行本」として刊行されている新文芸や、「電撃の新文芸」のようにレーベルなのかどうか怪しい*2新文芸も多かったりします。『佐々木とピーちゃん』のようにレーベルは「MF文庫J」だけどB6判で刊行されているなんてケースも。
かつては「ライトノベルは文庫レーベルから出る」と決まっていたからレーベル単位で括るのが便利だったわけですが、「レーベルから出るとはかぎらない」「レーベルの存在が曖昧になっている」となるとその利点も薄れてしまいます。
「ライト文芸」は、簡単に言えば、書店の一般文芸コーナーに並んでいるライトノベルのことです。「ライトノベルのことです」と言いましたが、「ライトノベルではない」と言う人もかなり多いです。アンケートを取ったらYES/NOが半々くらいになるんじゃないでしょうか。まさに「共通認識」の崩壊です。
ライト文芸は、(少年・少女向け)ライトノベルと一般文芸の中間のカテゴリー、と言われることが多いですね。当初はライトノベル編集部が一般文芸に殴り込んで作ったエリアでしたが、そこに衰退した少女向けラノベが避難してきて、一般文芸からも参入があり、ケータイ小説からの流れもあって、そうして現在の「ライト文芸」が出来上がっていきました。そのためライト文芸自体の境界が曖昧で、まだまだ議論が足りていないところではあります。
昔なら、*3少なくともレーベルとしてはラノベレーベルではない、とされることが多かった講談社ノベルスやハヤカワ文庫JAなども、今なら「ライト文芸レーベル」として見られてもおかしくないのではないでしょうか。
いまやライト文芸は巨大なカテゴリになっていて、それをラノベに含めるかどうかで「ラノベ語り」の結論がまるきり変わってくる、というレベルに達しています。決して「少数の例外」と切り捨てられるものではありません。
さて、新文芸やライト文芸はライトノベルなのでしょうか? それは「議論しなくても分かる」問題でしょうか?
申し添えておくと、「新文芸」や「ライト文芸」は出版社が提唱したカテゴリです。一方で「ライトノベル」は読者が提唱したカテゴリです。つまり出版社が「これはライト文芸ですよ」と主張したからと言って、それが「ライトノベル」でなくなるとは限りません。出版社から見た「ライト文芸」が、読者から見て「ライトノベル」であることだって十分にありえるわけです。
以上、長々と話を続けてしまいましたが、「ラノベレーベルから出てるのがラノベ」じゃ済まなくなってるのが現在のライトノベル業界なんだよ!というところだけ理解していただいて、今後とも実りあるラノベ定義論を続けていけたらと思います。よろしくお願いします。