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まだ「ラノベレーベルから出てるのがラノベ」とか言ってるの?

ラノベレーベルから出てるのがラノベ」論(以下「レーベル論」)、この明らかにトートロジーな言説が世間に広まったのは、とある横光三国志コラのせいだったと記憶しています(もちろんレーベル論自体はそれ以前からありましたが)。どこが初出なのかもわからないのでリンクは貼りませんが、そのセリフをいくつか引用してみましょう。

最初に断言しておきます。ライトノベルというのは文章の内容ではなくレーベルによる分類です! SFやミステリのような内容によるジャンル分けとは根本的に異なるのネ。

「ジャンル分けではない」というのは正しいですね。SF・ミステリ・ファンタジー・ホラーなどはジャンルの分類ですが、ライトノベルはさまざまなジャンルを含んだプラットフォームなので、コンテンツとしては「漫画」や「アニメ」などと横並びのカテゴリになります。ただし、「小説」という大カテゴリのなかではサブカテゴリ的に扱われている、というあたりがラノベ定義論のややこしいところなわけですが。

ライトノベルを漫画の『少年誌』に置き換えてみましょう。「バガボンドは少年誌か」答えはもちろんNOネ。質問の意味すら不明よ。「スラダンは少年誌か」質問が少しおかしいけど強いて答えればYES。スラムダンクは青年誌で連載しても通用する作品だったネ。でも実際連載してたのは少年ジャンプだったネ? だから分類は少年誌。内容が高尚だろうがスポーツ漫画だろうが関係ないのよ。

これはラノベを「少年誌」に置き換えることの妥当性が示されていません。たとえば、ライトノベルを『漫画』に置き換えてみましょう。「バガボンドは漫画か」答えはもちろんYESネ。と言っても比喩は成り立ちます。このコラの書き手は「大前提としてラノベは若者向けのコンテンツである」と認識しており、それが無意識的に「ラノベレーベルかどうか」の判定に反映されているように思えます。

ソノラマ作品はラノベ? 答はNOです。歴史的にも内容的にもラノベ的でありますが、当時はライトノベルという分類がありませんでした。だからラノベじゃないネ。同様の理由で90年代のスニーカーやファンタジアなんかにもラノベじゃない作品が混じってるけど、これは『ラノベの歴史』で改めて話すとするネ。

「同じレーベルでもラノベじゃない作品が混じってる」というのはレーベル論として破綻してますよね。ちなみに「ライトノベル」という呼称は1990年に生まれ、当時から「ソノラマやコバルトあたりの作品群」が想定されていました。よって「当初からライトノベルに分類されていたかどうか」という基準なら「分類されていたからラノベだ」と言えるし、分類の遡及を認めず「あくまでラノベという分類が生まれて以降に創刊されたレーベルに限る」とするならスニーカーや富士見もバッサリ除外しなければおかしい。まあ分類の遡及を否定する理屈もわかりませんが。

徳間デュアル文庫は迷ったんだけど除いたヨ。創刊当時はラノベ路線だったけど今はターゲット違うしさ。少女レーベルに関しても儂的には非ライトノベル。あっちの方が確固とした歴史があるしね。

今度は「ターゲット層の違い」に基準がすりかわっていますね。こうしてレーベルごとに別の基準を持ってきて都合よく除外するのがこのコラの書き手の特徴です。少女レーベルについても、先述したとおり「ライトノベルという分類が生まれたときに含まれていたか」であればYESのはずなんですが、またまた「確固とした歴史があるかどうか」などといった別の基準を持ってきています。

……とまあ、いくらでもツッコミができる代物で、コラが広まった当時から笑って見ていたのですが。

ただ、このコラの書き手は「どのレーベルがラノベレーベルか」を中途半端に決めようとしたからボロが出てしまっていますが、本来のレーベル論のキモはむしろ「どのレーベルがラノベレーベルかなんてぐだぐだ議論しなくたって分かるだろ」というところにあるわけです。すなわち、本当は皆だってわかってるだろ、ラノベレーベルのコアイメージは共有されてるだろ、少数の例外なんて無視すればいいだろ、細かい定義なんてしなくても伝わるだろという脳筋的なわかりやすさがレーベル論の良いところなんですね。

10年前ならまだそれでもよかった。ところが、現在のラノベではそれが通用しません。なぜなら「共通認識」が崩壊しているからです。

2010年代に入ってからライトノベル業界は爆発的に拡大して「新文芸」や「ライト文芸」といった領域に進出していきました。

「新文芸」は*1、簡単に言えばWeb小説を書籍化したもののことです。おおむねライトノベルとして扱われることが多いですが、四六判やB6判の大判サイズで刊行されていること、そのため書店での売り場が違ったりすること、また読者層も違ったりすることで、ライトノベルと見なされないこともあります。

また、『オーバーロード』『幼女戦記』などのようにレーベルのない「単行本」として刊行されている新文芸や、「電撃の新文芸」のようにレーベルなのかどうか怪しい*2新文芸も多かったりします。『佐々木とピーちゃん』のようにレーベルは「MF文庫J」だけどB6判で刊行されているなんてケースも。

かつては「ライトノベルは文庫レーベルから出る」と決まっていたからレーベル単位で括るのが便利だったわけですが、「レーベルから出るとはかぎらない」「レーベルの存在が曖昧になっている」となるとその利点も薄れてしまいます。

ライト文芸」は、簡単に言えば、書店の一般文芸コーナーに並んでいるライトノベルのことです。「ライトノベルのことです」と言いましたが、「ライトノベルではない」と言う人もかなり多いです。アンケートを取ったらYES/NOが半々くらいになるんじゃないでしょうか。まさに「共通認識」の崩壊です。

ライト文芸は、(少年・少女向け)ライトノベルと一般文芸の中間のカテゴリー、と言われることが多いですね。当初はライトノベル編集部が一般文芸に殴り込んで作ったエリアでしたが、そこに衰退した少女向けラノベが避難してきて、一般文芸からも参入があり、ケータイ小説からの流れもあって、そうして現在の「ライト文芸」が出来上がっていきました。そのためライト文芸自体の境界が曖昧で、まだまだ議論が足りていないところではあります。

昔なら、*3少なくともレーベルとしてはラノベレーベルではない、とされることが多かった講談社ノベルスハヤカワ文庫JAなども、今なら「ライト文芸レーベル」として見られてもおかしくないのではないでしょうか。

いまやライト文芸は巨大なカテゴリになっていて、それをラノベに含めるかどうかで「ラノベ語り」の結論がまるきり変わってくる、というレベルに達しています。決して「少数の例外」と切り捨てられるものではありません。

さて、新文芸やライト文芸ライトノベルなのでしょうか? それは「議論しなくても分かる」問題でしょうか?

申し添えておくと、「新文芸」や「ライト文芸」は出版社が提唱したカテゴリです。一方で「ライトノベル」は読者が提唱したカテゴリです。つまり出版社が「これはライト文芸ですよ」と主張したからと言って、それが「ライトノベル」でなくなるとは限りません。出版社から見た「ライト文芸」が、読者から見て「ライトノベル」であることだって十分にありえるわけです。

以上、長々と話を続けてしまいましたが、「ラノベレーベルから出てるのがラノベ」じゃ済まなくなってるのが現在のライトノベル業界なんだよ!というところだけ理解していただいて、今後とも実りあるラノベ定義論を続けていけたらと思います。よろしくお願いします。

*1:ネーミングセンスがないことに定評があるKADOKAWAが提唱した概念なので分かりづらいですが

*2:当初は電子書籍サイトでもレーベルとして登録されていなかった

*3:個々の作品がライトノベルとして見られることはあっても

「一般文芸」とは何か?

「一般文芸」という不思議な言葉がある。出版業界用語の一種で、普通の辞書には載っていない言葉である。ラノベ業界においては「ラノベ以外の小説」という意味で使われることが多いが、別にラノベ発祥というわけでもない。よく本を読む人でも「そんな言葉は知らなかった」ということも多いだろう。明確に定義されているわけではないし、誰が言いはじめて、いつから使われているのかもわからない。

しかし、いまや我々はインターネットだけで明治以降のさまざまな書籍を全文検索して用例を調べることができる。そう「国立国会図書館デジタルコレクション」である。ありがたやありがたや。というわけで「一般文芸」について検索してみよう。


検索できるかぎりにおいて、おそらく最も古いのが1892年(明治25年)『哲学雑誌』内の一文である。

文學史といふ名稱は文學の歴史即ち「リテラツールグシヒテ」といふ意味なるべしと思ひしに此度の三書は文學史といふ名稱に就いて各其解釋を異にせり
增田、小中村の二氏は文學を以て一般文藝の意に解したりとみえ學校、學術、文字、文章、歌、詩、歷史小說の等の部門に分ちて各其沿革を述べたり

ここに挙げられた「此度の三書」の他の二書は「文学とは国語国文の種類・理論・及用法を攻究する学」だとか「文学史は言語の発達・思想の変遷を語るものなり」としており、それに対して増田・小中村は「文学」を「一般文芸」の意味と捉えてその沿革を述べている、というようなことが書かれている。ここでの「一般文芸」は「和歌」「詩」「歴史小説」などの「文芸作品全般」の意味だと考えていいのではないか。

次に1901年(明治34年)『國學院雜誌』

吾人は儒教道教等の漢學講究と共に、佛教々義の國民間に於ける進歩の狀態を明かにし、一般文藝の發達を知りて以て人麿以下の歌人の現れ來る所以を詳かにせんと欲するもの

この論説は、「儒教道教」「仏教」「一般文芸」などが柿本人麻呂などの万葉集歌人たちにどう影響を与えたのかを研究すべきだ、という話のようで、つまり、ここでの「一般文芸」は和歌以外の「文芸全体」の意味だと思われる。「ラノベ以外の小説」を一般文芸と呼ぶ用法に近いのではないか。

その他の用例を見てもだいたい同様のようである。つまり「一般文芸」とは昔から「文芸全般」「文芸全体」という意味で使われており、特に「あるカテゴリーをテーマにして語っているときのそのカテゴリー以外の文芸全体」を指すことが多い、ということである。


だが、そもそも「文学」や「文芸」とは何を指しているのか。

もともとの「文学」とは「武」に対する「文」であり「書物を用いて行う学問」の意味だった。時代が下るとそれが「詩学」「言語学」「修辞学」「史学」などの書物を研究する学問のことに限定されていった。一方で「文芸」は「文学に関する技芸」という意味でしかなかった。

現在の辞書的な意味での「文学」とは、「言語によって表現された芸術作品のこと」で、小説だけでなく詩やエッセイや評論などが含まれる。そして「文芸」は「文学」と同義である。

「文学」は大きく二つにわけられる。芸術性を追求した「純文学」と、娯楽性を重視する「大衆文学」である。たとえば芥川賞は純文学の賞、直木賞は大衆文学の賞であり、ライトノベルは「大衆文学」に分類される。

ところが、現代で「文学」と言えば、何故か「純文学」を指すことが多い。ほとんど「純文学」の略称になってしまっている。

たとえば「ライトノベルは文学か?」と問われるとき、それは「ライトノベルに芸術性は存在するか?」という意味なのである。

さらにややこしいことに、多くの人は「純文学」と「大衆文学」の区別が付いていない。なので「芸術性を追求した文学と、娯楽性を重視するライトノベル」のような捉え方をして、「ラノベ以外の小説」を「文学」と言う人もいる。酷いときには「ラノベ以外の小説」という意味で「小説」と言うことさえあるのだ。


書店では「文芸書」というコーナーが設けられていることが多い。「文芸書」とはこれまた曖昧な呼称だが、これは実用書や学術書などではなく、コミックや児童書でもなく、文庫でもノベルスでもない、つまり往々にして単行本の小説や詩・エッセイが置いてあるコーナーである。

出版社のほうもそれに合わせたのか、単行本の小説のことを「文芸書」と分類していることがある。

たとえばKADOKAWAの公式サイトでは「文芸書」と銘打って単行本の小説がずらっと並んでいる。
文芸書 | KADOKAWA

講談社では「文芸(単行本)」としてカテゴライズされている。
文芸(単行本) 作品一覧|講談社BOOK倶楽部

おそらく「文学」と書くと純文学、すなわち芸術的な小説のように思われてしまうので、「文芸」と呼んでそれを回避しよう、という意図もあるのだろう。つまり「文芸」が「大衆文学」の意味に近づいていっている。

辞書的には「文学」と「文芸」は同義だと言っても、現場レベルでは微妙に使い分けられ、異なる意味を持っているのである。


そしてラノベ業界では「文芸」と言うだけでも「一般文芸」を指すことが多い。「文芸」と「文芸書」と「一般文芸」を意識して使い分けている人はあまりいなさそうだ。

ラノベは文庫書き下ろしであることが多い(多かった)ので、もとから書店の「文芸書コーナー」には置かれておらず、そのため「ラノベ以外の小説=文芸」という印象が強いのだろう。そもそも「ラノベ以外の小説」を指すのが「一般文学」ではなく「一般文芸」であるのは、そうしたところも影響しているのかもしれない。

たとえば「ライト文芸」は、書店でのラノベの棚が満杯になってしまったので、一般向けの文庫棚にラノベを進出させようとしたものだし。「新文芸」は、Web小説の書籍化の多くが単行本(大判)サイズだったので、書店で置かれる棚がまちまちになってしまい、そこで新しい名前を与えることで新しいコーナーを作ってもらおうとしたものだ。そこには「文芸」を名乗れば既存のラノベコーナーには置かれないだろうという意図もあったのではないか。

ともあれ、「一般文芸」はこの混沌極まる出版業界において「ラノベ以外の小説を漠然と指し示したい」という需要から使われているものであって、実際のところ個々人によってその認識する範囲は微妙に違っているのだろうと思う。


結論。出版業界はもうちょっとカテゴリーを整理しろ。

2023年ライトノベル個人的ベスト10

1. 『あなたの未来を許さない』

ひとことで言えば「クレイジー百合バトロワ」。未来人が現代で秘密裏に開催している「未来のない人間を集めて殺し合いをさせる」というTVショー。その参加者のひとり、学校ではイジメられているような鈍臭い陰キャ少女が、しかし心から愛する幼馴染のために「天性の殺戮者」として覚醒していく。トリッキーなように見えてものすごく直球のエンタメなんですよね。味方にしろ敵にしろ一癖も二癖もあるキャラクターたち。超能力が与えられた参加者を無能力の主人公が食い破っていく熱いバトル。そして少女たちの抱える巨大な感情。最高でした。

2.『ダンジョンシーカーズ』

いわゆる「現代ダンジョンもの」なんですが、この作品はボーイ・ミーツ・ガールを主軸にしているのが特徴です。というか、ものすごく「異能バトル」の読み味がする。日常に倦んでいた主人公が、ダンジョンという非日常にのめりこんで飛躍的に強くなっていき、一方で古くから異能を管理してきた名家の娘であるヒロインが、主人公と共に戦ううちに惹かれ合い、今度はヒロインを縛る名家との戦いになっていく。キリトとアスナもかくやというバカップル。もはや純度の高い青春ラブストーリーでしたね。

3. 『三傑のサッカーは世界を揺らす!』

サッカー素人の主人公が、自分に憑依した謎の「声」と協力することで、その天才的なパサーとしての能力を発揮していく…という、いわゆるヒカ碁フォーマットの「サッカーもの」。主人公の性格がクソ悪いのが最高で、サッカーは嫌々やってるくせに自信満々、周囲には横柄で協調性は皆無。でも「声」がすごく気のいいやつなのと、主人公の才能に惚れ込んだライバルキャラがめちゃくちゃ人格者なので、全体のバランスは取れてるんだよな。シンプルにスポーツものとしてすごく面白かったです。

4. 『異世界刀匠の魔剣製作ぐらし』

『キッチンやらない-O』の作者の新作。こだわりもクセも強い刀鍛冶の主人公が打った刀剣にまつわるさまざまなエピソードが描かれる。あまりの美しさに自分を斬りたくなってしまう妖剣。病弱な領主を思わず剣術に駆り立ててしまうほどの名刀。それらにさらに魔法が付与され、立派な拵えがつくことで、まさに「魔剣」というべき代物になり、またそれが数奇な運命を生み出していくわけです。主人公が序盤で結婚してラブラブ新婚生活を送ってたりするのも好きです。

5. 『魔王2099』

うおお復活! もう続きが出ることはないと思ってたけど復活! そしてアニメ化! おめでとう! ブランクが心配だったけど面白さもまったく変わらず。魔王や勇者のキャラが完璧に立ってて、ファンタジー設定もサイバーパンク設定もしっかりしてて、それでストーリーがジェットコースターのように推進していくんだから、そりゃ面白いに決まってるんだよなあ。

6. 『クセつよ異種族で行列ができる結婚相談所』

電撃の新人さん。全種族を巻き込んだ大戦争が終わって「恋愛結婚」や「異種族間結婚」が流行するようになった街の結婚相談所を舞台にしたお仕事ファンタジー。もともと書籍化してる作家さんということもあるんですが、やはりエンタメとしての完成度の高さを感じますよね。明るくて可愛くて、実は身体能力的にもつよつよな主人公がストーリーを引っ張っていくんですが、それでも最初にきっちり失敗させておいたりするバランス感覚なんかは、すごく良かったですね。

7. 『ミリは猫の瞳のなかに住んでいる』

同じく電撃の新人ですが、先行してガガガ文庫でデビューして評判となっていた作家さん。超能力系恋愛もの、奇人変人演劇もの、連続殺人と館ものミステリ、タイムループSFと、いろんなジャンルが詰め込まれていて、エンタメとしてみればとっちらかっている。わけがわからないところもある。でも、そうした要素をひとつの想いが貫いている。読み終わったあとにしばらく頭から離れない、ふと考えてこんでしまうようなところは他の作品にない魅力でした。

8. 『オルクセン王国史

欲望のままに暴れるだけの種族だったオークが、一人の名君のもとで一つにまとまり、ドワーフコボルトなども取り込んだ多民族国家として、著しい発展を遂げたさまを描いた戦記ファンタジー。モチーフとなっているのは近代のドイツ帝国あたりか。社会制度や軍事体制がファンタジーならではの事情も絡めながら興味深く描写されます。「エルフによって虐殺されたダークエルフの生き残り」がオークの国へ亡命し、王のもとでエルフへの復讐を誓うという筋立てもふるっていますね。

9. 『かくて謀反の冬は去り』

古代から数十年くらいで急に現代文明レベルまで発展したような日本が舞台という独特な設定。『オルクセン王国史』と同様に架空史ものとして見ても面白かったですね。主人公は手足に障害のある王子で、非常に頭は回るがもちろん宮廷での立場は悪く、劣等感と自尊心をどちらも抱えながらなんとか生き延びようとしている。そんなときに父王が急死してしまい後継者争いが勃発する…という喜劇的にも悲劇的にも思えるような宮廷サスペンスとなっています。

10. 『死亡遊戯で飯を食う。』

正直、デスゲームものはちょっと苦手なんですけど、この作品はひと捻りがあって面白いですよね。まあ、デスゲームに何度も参加している「プロデスゲーマー」みたいな連中を描いた作品なので、デスゲームというより命懸けのエクストリームスポーツみたいな空気ですが。デスゲームを繰り返すなかでもちゃんと「物語」をやっているのもよい。本当に完成度の高い作品だと思います。

2023年ライトノベル10大ニュース

MF文庫Jの2022年の紙書籍の売上が電撃文庫を超える

prtimes.jp
ラノベ業界では長らく電撃文庫がナンバーワンであり、それがずっと意識に刷り込まれていたので、これはなかなか衝撃的なニュースでしたね。おそらく電撃文庫の看板作品である『SAO』や『86』の新刊があまり出なかったことと、MF文庫Jの看板作品『ようこそ実力至上主義の教室へ』がアニメ第2期の放映で爆発的に売り上げを伸ばしたこと、MF文庫Jのボカロ小説が好調だったことなどが要因としてあるのだと思われます。

なお電子書籍の売上を加味するとまだ電撃文庫のほうが上らしいです。

ラノベVtuber「本山らの」が電撃文庫編集者となって大復活

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昨年、大学卒業とともにVtuberを卒業していた本山らのさんが、KADOKAWAに就職して電撃文庫の編集者となりVtuberとしても復活。Vtuber業界全体を見渡してもかなり珍しいキャリアアップなのでは。

ちなみに電撃文庫「電ちゃん」という謎のマスコットキャラクターもデビューさせています。

プチ・ミステリブーム

note.com
「なんか新刊にミステリ多くね?」「ちょいちょい話題作も出てね?」という感じで、にわかに「ミステリブーム」が騒がれたりしていました。とはいえ、もちろんラブコメなどに対抗できるほどの数ではないんですが。

そもそも昔からライトノベルとミステリの相性は良くて、また近年ではその領域を「ライト文芸」として積極的に取り込んできたので、ミステリブーム自体はずっと以前から続いているとも言えるのですが、今年は特に少年向けレーベルからミステリがよく出ていた(気がする)のが新しい傾向でしたね。

電撃文庫30周年

dengekibunko.jp
電撃・富士見・スニーカーの御三家は創刊年が揃っている(電撃だけ5年遅れ)ので定期的に「3レーベル同時アニバーサリー」の年がやってきます。

電撃文庫では、長らく新刊が出ていなかった『ウィザーズ・ブレイン』『9S』の再開・完結や、『ブギーポップ』の久々の新刊、さらに『灼眼のシャナ』の短編集の発売など、往年の名作の話題で盛り上がりました。昨年終了した無料小説&漫画サービス「電撃ノベコミ」が「電撃ノベコミ+」となって復活するというサプライズもありましたね。

富士見ファンタジア文庫35周年

fantasiabunko.jp
「35の夢」と題して無理やり捻り出した35個の企画のなかでは、五年ぶりの龍皇杯の開催や、『魔王2099』のTVアニメ化、フルメタの続編『フルメタル・パニック!Family』の発表などが、個人的には印象的でした。なお未だに35番目の夢は発表されていない模様。

角川スニーカー文庫35周年

sneakerbunko.jp
スニーカー文庫は…『涼宮ハルヒ』シリーズの新刊予定が発表されたのと、あとは次世代のエース『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』のアニメ化が(35周年イベントでの発表ではないですが)決定したのが大きかったでしょうか。

あとはスニーカー文庫も専属Vtuber「須二川文」爆誕させていましたが、35周年限定だからもう活動しないんですかね。

戯言シリーズ復活

bookclub.kodansha.co.jp
西尾維新といえば世間的にはもう『物語』シリーズとか、ジャンプの漫画原作とかのイメージが強いのかもしれませんが、ゼロ年代に生きたオタクとしてはやはり『戯言』シリーズなんですよね。この作品がどれだけの若者を狂わせ、どれだけの作家に影響を与えたことか。

と言いつつも『キドナプキディング』は購入したまま積んでいますが…。

「好きラノ」中止

lightnovel.jp
半年ごとに開催されるラノベ人気投票企画「好きラノ」は、Twitterからの投票も受け入れるようになってからその規模を拡大していましたが、そのTwitterがまあご覧の有様になってしまったので、2023年上半期の開催は中止、下半期もどうなることやら、という状況です。

出版社ではなくラノベ読者が主催する企画ということで、かつてのライトノベルサイト杯から続く伝統行事だったのですが、はたしてこのまま途絶えてしまうのでしょうか。

「ダンガン文庫」創刊発表

www.youtube.com
BookBaseという独自の小説販売サービスをやってるところが企画して、来年の創刊を予定している電子書籍専門ライトノベルレーベルだということで、Twitter上で盛んにプロモーションを行い、かなり目立っていた印象です。参加作家をスマブラみたいなアオリPVで発表するなど面白い試みもしていましたね。

ノベリズム文庫などはBook Walkerに配信してくれなかったので結局は購入することもなかったのですが、ダンガン文庫はまさかBookBase上でしか販売しないなんてことはないですよね…?

吉岡平、死去

www.asahi.com
私自身はあまり作品に触れてきませんでしたが(ファミ通文庫の『シャルロット・リーグ』くらいかな)、黎明期のラノベを引っ張った功労者のおひとりですね。『無責任艦長タイラー』は90年代スペオペライトノベルの代表格でした。

今年はその他に、『後宮小説』によって中華ファンタジーの成立に影響を与えた酒見賢一ソノラマ文庫などでも活躍したSF作家・豊田有恒の訃報もありました。


去年までの年間ニュースはこちらからどうぞ。
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「男女あべこべ」「貞操逆転」ジャンルはどのように生まれたのか

「男女あべこべ」あるいは「貞操逆転」などと呼ばれるジャンルがある(以下「貞操逆転」で統一する)。

いわゆる「性転換」や「とりかへばや」などとは異なり、男女の社会的役割や倫理観がまったく逆転している世界を描くもので、特に性的な価値観の逆転により「女性が性に積極的」「男性は性に消極的」という描写が重視されている。ジェンダーSF的に描かれることもあれば、ただ単にそういうシチュエーションでエロを書きたいだけのこともある。というか現在のところは後者のほうが圧倒的に多い。

この記事では、そうした「貞操逆転」というジャンルがどのように発展してきたかを考えるために、備忘録程度にだが代表的な作品をまとめてみたいと思う。

沼正三家畜人ヤプー

EHSは女権制国家であり、EHSは女系の女子によって相続される女王による君主制国家である。政治や軍事の大権は女性のみが持つ。人間(白人)の女性に代わって出産をする子宮畜(ヤプム)の使用が普及したことにより人間の女性が出産から解放され、女権革命が発生して女権制が確立された。

家畜人ヤプー - Wikipedia

初出は1956年。有名なエログロ奇書。女尊男卑社会で日本人男性が家畜化されることに幸せを覚える…という趣向で、スカトロや肉体改造などを含むドギツい設定からしてもSM要素が強く、「貞操逆転」とはやや系統が異なると思われる。「貞操逆転」にも女尊男卑的な側面はあるが、あくまで現実社会の男尊女卑を反転させたレベルのものにすぎないことが多い。

ドラえもん』の「あべこべ惑星」

七夕の日、ドラえもんのび太ひみつ道具「天球儀」に付属されている宇宙船を使ってあべこべ地球に行くお話。

そこは太陽と月の出入り、犬と猫の概念、そして性別や性格が逆転している世界。ドラえもんのび太だけでなくジャイアンスネ夫などの男子キャラクターが女性語を使い、しずか・玉子などの女子キャラクターが男性語に変わるなど、言葉遣いも全て真逆になっている。

あべこべ惑星 (あべこべわくせい)とは【ピクシブ百科事典】

この話が収録されているコミックス17巻は1979年6月27日発売。テレビアニメでは1992年10月2日・2009年7月3日・2020年7月4日と、何度かリメイクされて放送されているようだ。設定的には性別が入れ替わっているみたいだが(つまり厳密にはTSもの?)、見た目はほとんどそのままで服装や仕草だけが入れ替わっているように見えるので、そこに「貞操逆転」の要素が感じられる。

後述するが、「男女あべこべ」という呼称は、このドラえもんのエピソード由来だと思われる。

村田基フェミニズムの帝国』

ブコメで指摘されたので追加した。感謝。

西暦2198年。社会のあらゆる実権は女が握っていた。女はたくましく、男はおしとやかに。男は結婚して家庭に入り、家族に尽くすのが義務とされる。そして25歳をすぎても結婚しない男は「ハズレ者」と呼ばれて世間からつまはじきにされ、まともな職にはつけず、水商売などに従事して生きるしかない……。22世紀末、女尊男卑の世界で激しく燃え上がった“男性解放運動”の結末を描く。長篇SF小説

Amazon.co.jp: フェミニズムの帝国 eBook : 村田 基: Kindleストア

1988年に出版された作品。男性だけが発症するエイズが広まり、そのため女性が権力を握った…という設定のようだ。

アーシュラ・K・ル=グウィン『セグリの事情』

ブコメで指摘されたので追加した。感謝。

"The Matter of Seggri" provides a social commentary on modern gender roles. In the story, Le Guin creates a world in which gender roles are switched.
『セグリの事情』は、現代のジェンダーロールに対しての社会的な主張である。作中において、ル=グウィンジェンダーロールの入れ替わった世界を構築している。

The Matter of Seggri - Wikipedia

ル=グウィンが1994年に発表した短編小説。男児出生率が極端に低いため、男女比が1:16にまで偏った惑星が舞台となる。生殖を維持するために男性は手厚い保護を受けており、安全な城のなかでスポーツに興じながら、夜になるとさまざまな女性と性行為をする。危険な城外での労働などはすべて女性が行っている。男性は特権階級のようでいて、本質的には管理された種馬であり、彼らに自由はないし、教育を受けることもない、といった世界観のようだ。

よしながふみ『大奥』

日本の江戸時代をモデルとした世界で、謎の疫病で男子の人口が急速に減少した結果、社会運営の根幹や権力が男から女に移っていく様を江戸城の大奥を中心に描く。

徳川家の代々の将軍達や要職にあった者など、歴史上では男性である人物が女性に、女性である人物が男性に置き換えられている。春日局が大奥を作ったことや、当時の「カピタン本国報告」にある「御簾越しに家光に拝謁、少年のような声だと思った。拝謁の場は若い男性ばかり同座していた。市中で女性が多く働いているのを見た」などの詳細な史実と、フィクションを織り交ぜたストーリー構成となっている。

大奥 (漫画) - Wikipedia

白泉社の少女漫画誌『MELODY』の2004年8月号から連載。映画化・アニメ化もされた大ヒット作品。ジェンダーSFとしての側面が強く、男性向けエロジャンルとしての「貞操逆転」とは系統が異なるが、「奇病で男性が減少し女性中心社会になった…」などの設定は貞操逆転でもよく使われており、そうした面での影響はありそうだ。

ウェン・スペンサーようこそ女たちの王国へ

極端に男性が少ないこの世界では、当然ながら女王が統治し、兵士も職人も何から何まで女性中心だ。一方男性は貴重な存在のため、誘拐などされぬよう姉妹たちの固いガードのもとで育てられていた。ウィスラー家の長男ジェリンはもうすぐ16歳。ある日、盗賊に襲われた娘を助けたところ、彼女は王女のひとりだった。迎えに来た王家の長姉(エルデスト)レン王女は、生来の美貌のうえ心優しいジェリンにひと目ぼれ、ぜひ夫にと熱望するが……

ようこそ女たちの王国へ - Wikipedia

原作は2005年7月5日、日本語訳は2007年10月24日に刊行されている。第三回センス・オブ・ジェンダー賞の海外部門で大賞に選ばれ、よしながふみ『大奥』と比較されつつ称賛されている。貞操逆転愛好者のコミュニティにおいてもよく知られているようだ。

MBS Truth『童貞な女子達とボク ~もし仮に万が一、ボクがエッチに興味津々な童貞っぽい女子ばかりいる世界に行ったとしたら~』

その日、雪斗はちょっと早く到着したいつもと違う時刻の地下鉄に乗った。何故か誰も乗ってない不思議な電車、そして違和感。……何かが違う。学校につくと女子が変な制服を着ていることに気が付く。学ラン?

やがて雪斗はここが「男女の性的な価値観」が逆転した世界であると知ることになる。例えば女の子はいつでもエッチなことを見たがったり知りたがったりだけど男の子は携帯恋愛小説に夢中!とか。つまり女の子は、奥手な童貞男子のように妄想で悶々している世界。

元の価値観を持つ雪とは周囲から浮きまくり。知らず知らずに女子とのフラグを立てまくってしまう。隙を見せれば幼馴染から学校の教師までが雪斗に性的な興味を持ち始め、少し女子の後押しをするだけでエッチな関係に発展することに!?

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2011年5月27日発売のエロゲ。男性向けエロジャンルとしての「貞操逆転」のかなり初期の例になると思われる。

どこから着想を得たのか知りたいところだが、シナリオライターはもともとTSものを書いていたうえに、MBS Truthの他作品も「世界で最後の男になる」「クラスの女子全員が主人公を好きになる」といった特殊シチュのハーレム作品が多いので、そうしたアイディアの延長線上にあるのかもしれない。

2ちゃんねるエロパロ板『あべこべ世界妄想スレ』

1 :名無しさん@ピンキー:2012/03/30(金) 23:39:25.88 id:qts2vk/T
ここはドラえもんの「あべこべ惑星」や「童貞な女子達とボク」などのように世界規模で男女の立場や価値観が逆転する妄想をするスレです

【男女】あべこべ世界妄想スレ【逆転】

2012年3月30日にスレが立てられている。「貞操逆転」が男性向けエロジャンルとして認識され、「あべこべ惑星」がその源流として位置づけられていることが窺える。『童貞な女子達とボク』も挙がっているがあまり評価は高くなさそう。

ちなみに>>3で紹介されているスレはSM板に立てられたもので、貞操逆転の一種ではあるが、体格や腕力まで含めて女性上位であり、男性は屈辱的な扱いを受けているという、『ヤプー』系統に近い印象を受ける。

葛城『男女あべこべ物語』

『男は黙って女の三歩後ろを歩け』『女は外、男は家』『子育ては男の仕事』『メンズ・ファースト』 主人公、田中悠一は辟易していた。それは、彼自身の意志ではどうにもすることができず、どう抗っても意味はない。 だって、悠一を疲れさせる原因は……この世の価値観だったのだから。 前世と同じ文明。前世と同じ流行り。前世と同じ人間たち。事故で死んでしまった悠一が新しく生を受けた世界は、前世と同じ現代……だと思っていた? え、子供は男が育てるの? え、なんで女子がスカートめくりを? え、料理の上手い男子? え、女子がプロ野球選手? え、なんで男の看護師がナースって呼ばれるの? ……そう、悠一が生まれ変わった世界は、少し違っていた。唯一、男女の価値観と、それに伴う様々な事柄が、あべこべになっていたのだ。

【魚拓】男女あべこべ物語

2012年8月17日に「小説家になろう」に投稿され、Web小説における「貞操逆転」ジャンルの草分けとなった作品である。とはいえ、評価ポイントは10000ptくらいだったので、爆発的に流行したというわけではなく、ジャンルが認知されていくつかフォロワー的な作品が投稿された…という程度の影響力と思われる。

上記「あべこべ世界妄想スレ」の>>124で「小説家になろうに投稿した」と書かれているのはこの作品のことか(投稿日が一致する)。とすると「あべこべ惑星」→「あべこべ世界妄想スレ」→「男女あべこべ物語」…というラインが繋がる。

なお、この作品は「美醜逆転」要素も含んでおり、もとはブサイクだった主人公が周囲から美少年扱い、主人公からは美少女に見えるヒロインが周囲からブス扱い、といった設定になっている。この「美醜逆転」も「貞操逆転」の類似ジャンルとして今では定番化している。

天原貞操逆転世界』

男女の性欲や貞操観念が真逆の世界で売りをすることにした男。はした金でヤらせてくれる男に、毎日ヤりたくてやりたくて悶々してる割にちゃんと処女らしい恥じらいもちゃんとある娘たちが、お金を持って私にもヤらせろと簡単に食いついてくる。とてつもなく都合のいい世界でやりまくるお話。

貞操逆転世界 [天原帝国] | DLsite 同人 - R18

2015年3月20日から販売されている同人誌。非常に人気が高く、それまで「男女あべこべ」や「男女逆転」と呼ばれていたジャンルが、ここでガラッと「貞操逆転」と呼ばれるようになった。貞操逆転ジャンルの中興の祖である。

道造『貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士』

現代日本から男女の貞操観念が真逆の異世界に転生し、その世界では珍しい男の騎士として育てられた辺境領主ファウスト
前世の価値感を持つが故に、女王のほぼ全裸な薄着姿や巨乳公爵からのセクハラ的スキンシップに股間を痛める日々を送る彼だが、ひとたび戦場に出れば英雄的な活躍をする超人でもあった。
そして第二王女ヴァリエールの相談役として、彼女とその親衛隊の初陣に同行することになったファウスト
しかし単なる山賊退治と聞いて赴いた村では、予期せぬ惨劇と試練が待ち受けていて……!?
貞操が逆転した世界で“誉れ”を貫く男騎士の英雄戦記、堂々開幕!!

2020年10月16日にハーメルンに投稿された作品。「アダルト系でない貞操逆転」である。「筋骨隆々の男など気持ち悪い」「息子を騎士にするなど気が狂ったのか」と言われるような世界に生まれた主人公が最強の男騎士として活躍する歴史ファンタジー。現時点でハーメルンでもカクヨムでも貞操逆転ジャンルにおける一位となっている。おすすめ。

というわけで

大雑把に言えば、ホップ『あべこべ惑星』→ステップ『男女あべこべ物語』→ジャンプ『貞操逆転世界』で三段跳び、という感じではないかと思っている。

天原の『貞操逆転世界』以降、ノクターンノベルズなどでも貞操逆転は順調に流行っているのだが、『貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士』のように一般向けでも設定が採用されることが増えつつあるようだ。それこそよしながふみ『大奥』が大ヒットしたように、エロが絡まなくとも面白い題材なので、一般向けのラノベでももっと流行ればいいと思う。よろしくお願いします。

ライトノベル衰退論に対する雑感

ラノベの市場規模の話を突き詰めていくと「いったいどこまでをライトノベルと見なすか?」ということが問題になってくる。ラノベの市場規模を調べるのは難しい。なぜなら「ライトノベル」と見なされる範囲が変動するからである。ラノベの市場規模の発表をしているのは、主に「出版科学研究所の出版指標」と「ORICONエンタメ・マーケット白書」であるが、彼らが定める「ライトノベル」の基準は明らかにされていない。

たとえば「ライト文芸ライトノベルに含まれるか?」という問いは非常に繊細な政治的問題を孕んでいる。私自身は間違いなくライトノベルに含まれると思っているが、「ライト文芸ライトノベルではない」と考えている人も多い。おそらく市場規模の調査においても「ライト文芸」はライトノベルに含まれていない。というか含めると収拾がつかなくなるのだろう。イラスト付きの一般文芸などいまやありふれている。どこまでがライト文芸なのかを判断することは非常に難しい。

ライトノベルの市場規模には電子書籍の売上も含まれていない。漫画業界では、紙書籍の売上を電子書籍の売上が上回ったというが、はたしてラノベ業界ではどうなのか。もちろん売上の低下を電子書籍で補えているかどうかはわからない。「電子の売上なんて大したことない」という話も聞くし、「無視できない売上になっている」という話も聞く。だから「ラノベの売上は減少しているか」という問いには「わからない」と答えるしかない。

しばしば「いまでもラノベの刊行点数は増え続けている」ように勘違いされるが、直近数年の刊行点数はそれほど増えていない。2019年がピークで、2020年・2021年はおそらくコロナ禍のために減少、2022年はやや戻して2018年とほぼ同等になっている(ラノベの杜調べ)。さらに少年・少女向け文庫ラノベの刊行点数は顕著に減少している。

たとえば電撃文庫の刊行点数のピークは2012年である(これは「紙の文庫ラノベの売上」のピークとされる年でもある)。なぜ刊行点数が減少したかと言えば、おそらく同編集部が「メディアワークス文庫」からも新刊を出すようになったからだろう。さらに2019年には「電撃の新文芸」と呼ばれるWeb系大判ラノベレーベルも創刊している。他の編集部においても、いまや文庫ラノベと大判ラノベを同時に編集するのは普通のことである。つまりライトノベルは「少年少女向け文庫」の一本足打法から「ライト文芸」や「大判ラノベ」も含めた多角化経営を進めているのである。

追記。このくだりについて編集者の方から直接指摘が入ったので訂正します。電撃文庫の刊行点数の減少はメディアワークス文庫の創刊とは無関係だということだそうです。リプライを繋げてご解説いただいているのでリンク先に飛んでご確認ください。

追記終わり。

「若者のラノベ離れ」のような話もあるが、もともと読まれてねーだろと思う。私の学生時代にラノベを読んでいる同級生などほぼ皆無だった。もとよりニッチ市場なのだ。日本全国1億2千万人のうちたった1万人が新シリーズを買うかどうかでひーこら言っているような業界なのだ。周囲に読者がいなくて当たり前だ。私だってONE PIECEの今週の展開を語り合うがごとく友達と電撃文庫の新刊の話をしたかったよ。

いや個人的な怨念はさておいて。たとえば「なろう系を買っているのはオッサンだけ」とも言われるが、以前書いたようにWebサイトの「小説家になろう」には若い読者も多くいる。なろう系の大判ラノベを買うのがオッサンなのは、ひとえにそれが高価格だからである。若いラノベ読者が、Web小説だけで満足していたり、図書館で借りていたり、ブックオフで買っていたりすれば、その活動は市場規模には反映されない。その実態は明らかではない。

ラノベ論においては「どこまでをラノベとみなすか」で結論が180度変わってくることは珍しくない。高校生の人気ランキングに入っているライト文芸が「ライトノベルではない」として除外される。そして「ライトノベルは高校生に人気がない」と言われる。いやライト文芸ライトノベルだが、となる。「児童文庫は調子がいいのにラノベときたら」。いや児童文庫だってライトノベルだが、となる。

まあどっちでもいいのだ。要は出版社が赤字でなければいいのだ。私の好きな作品が刊行されていればいいのだ。仮に、万が一、電撃文庫富士見ファンタジア文庫が潰れて、出版科学研究所が「ライトノベル」と見なしていた領域が消滅したとしても、別のところでエンタメ小説は世に出続けるだろうし、私はそれを「ライトノベル」と呼び続けるだろう。なべて世はこともなしだ。

もうラノベのこと「キャラクター小説」って言うのやめない?

はじめに

「キャラクター小説」。ライトノベルを説明するときによく使われる言葉ですが、例によって定義は曖昧です。そこで「キャラクター小説」の初期の定義を確認し、そこからどのように用法が派生していったかを探り、そして「もう使わんほうがいいんじゃね?」という結論に持っていく、というのがこの記事の主旨となります。

そもそも「キャラクター小説」という言葉がよく知られるようになったのは大塚英志『キャラクター小説の作り方』からだと思うので、そこでの「キャラクター小説」の説明を最初に引用します。

ただし、大前提として『キャラクター小説の作り方』が刊行されたのは2003年(というか2000年からザ・スニーカーで連載されたコラムをまとめたもの)であり、『ハルヒ』ブームなどを経てライトノベルが急拡大していく直前、まだ「ライトノベル」が未成熟でどのように発展していくかわからない、「ライトノベル」という呼称すら十分に広まっていない時期に書かれたものである、ということに注意してください。


『キャラクター小説の作り方』における用法

大塚英志は「キャラクター小説」についてこう説明しています。

実は、この「キャラクター小説」というのは「スニーカー文庫のような小説」の関係者がたまに口にする隠語なのです。そこには、所詮これってキャラクター商品じゃんという編集者たちの屈折した気持ちが見え隠れします。アニメ絵のついたテレカとか下敷きと同じものでしかない小説、という意味で使われているのです。

ライトノベル」という呼称がまだ使えないので「スニーカー文庫のような小説」と迂遠な呼び方をしているのが面白いところですが、ともあれ当時の業界における「キャラクター小説」とは「キャラクター商品としての小説」の意味だったというのです。

「メディアミックスの起点となる小説」と言い換えればマシに聞こえますが、当時はまだ現在ほどライトノベルの立ち位置が確立されていたわけではないので、もっと「アニメに従属した商品」といったニュアンスがあるんじゃないかと思います。ドラゴンボールのオモチャを製造するように、ガンダムのプラモデルを発売するように、アニメみたいな小説を作っている。そういうような意味合いだったということでしょう。

その上で、大塚英志自身は「キャラクター小説」をこのように再定義します。

自然主義の立場に立って「私」という存在を描写する「私小説」が日本の近代小説の一方の極だとすれば、まんが的な非リアリズムによってキャラクターを描いていく「スニーカー文庫のような小説」は「キャラクター小説」と呼ぶのが多分、その小説の本質をもっとも正確に表現しているのだと思います。

噛み砕いて説明すれば「現実の人物を写生する小説=純文学」「漫画やアニメのキャラクターを写生する小説=ライトノベルという対置なんですね。純文学は(たとえ登場人物や作品設定が架空であったとしても)現実世界の在り方に従って書かれることがよしとされるが、ライトノベルは現実世界ではなく「漫画やアニメの世界」の在り方にもとづいて書かれているのだ、というような話でしょうか。

ちなみに、このあと大塚英志「純文学だって実はキャラクター小説じゃね?」とか「キャラクター小説で現実を表現するという新しい形のブンガクを目指すべきじゃね?」などといったちゃぶ台返し的な話をしています。新装版(2013年)で加筆された部分では「ライトノベルは俺の期待していた方向には進まなかったね」という話もしています。

要するに、大塚英志のこの「キャラクター小説」の定義は、理念先行というか、さまざまな前提や条件にもとづく話であって、必ずしも実像をスパッと表したものではないということです。「ライトノベルを本質的に特徴づけるものはキャラクターだ」といったような話ではないし、それどころか「ライトノベルと純文学の違い」を説明したものですらなかったわけです。

それ以降の用法

さて、ではこれ以降の「キャラクター小説」という用語はどのように使われていったのでしょうか。

たとえば、かの悪名高いライトノベル法研究所ではこのように説明されています。

ライトノベルは別名、キャラクター小説などとも呼ばれ、魅力的なキャラクターを創造できるか否かが、作品の評価を大きく左右します。

キャラクターの作り方(ライトノベル)

「キャラクター小説=キャラクターが魅力的な小説」というだけになってしまっていますね。「キャラクター小説というからにはキャラクターが重要なのだろう」くらいで思考停止してしまっているわけです。

この説明では『キャラクター小説の作り方』における「漫画やアニメの世界の在り方にもとづくキャラクター」という前提が抜け落ちています。なので「登場人物が魅力的な小説です」と言っているのと変わらない。じゃあキャラクター小説以外は「登場人物が魅力的でない小説」なんでしょうか。そんなの目指して小説を書く人なんているんですか。何の説明にもなっていないと思うんですよね。

類似表現に「ライトノベルは読みやすい文章で書かれている」などがあります。「ライトノベルは読みやすい文章で書かれている」と主張することでいったい何が説明できているんでしょうか。たいていの小説家は読みやすさを心がけているでしょうに。それはやはり「ライトノベルというからには文章がライトなのだろう」とかそういう思考停止にもとづいているだけなんですね。

話が脱線しました。

「キャラクター小説とはキャラクターが魅力的な小説のことである」という定義は出版社も用いています。

たとえばKADOKAWAは、そのものズバリ「角川文庫キャラクター小説大賞」という新人賞を設立しており、このように説明しています。

角川文庫キャラクター文芸は、一般文芸レーベル「角川文庫」の中で、魅力的なキャラクターが活躍するエンタメ小説を世に送り出してきました。

ミステリ、ファンタジー、ホラー、SF、あやかし、青春、恋愛、お仕事小説、感動の人間ドラマなど、あらゆるジャンルを横断する、優れたエンタテインメント作品の数々。そこに共通するのは、魅力的なキャラクターと舞台設定です。

角川文庫キャラクター小説大賞 | KADOKAWA

こちらの受賞作を見てみると、これがいわゆる「ライト文芸(キャラ文芸)」系の新人賞であることがわかります。この「キャラクター小説」を「ライト文芸(キャラ文芸)」の単なる言い換えとする用法が、近年では急速に広まっているんですよね。

そして、その用法を推進しているメディアのひとつが、やはりKADOKAWA系であるダ・ヴィンチなんですね。

“キャラクター小説”というジャンルを知っているだろうか。かつては“ライトノベル”と同義だったが、今、一般文芸作品にライトノベルの手法をうまく盛り込んでキャラクターを立たせた“キャラ立ち小説”が読者を強くひきつけているのだ。

ラノベとも違う! 今人気の“キャラ立ち小説”とは? | ダ・ヴィンチWeb

この記事は「ライト文芸」「キャラ文芸」といった呼称が登場する前の2012年に書かれた記事なので「キャラ立ち小説」とかいう微妙な呼称が使われていたりします。ともあれ、キャラクター小説を「キャラが立っている小説」と見なし、それを「ライトノベル」とイコールとした上で、そうしたライトノベルの手法が一般文芸に導入されつつある、としたわけですね。

出版不況が叫ばれる中で、出版各社が競い参入しているのが「ライト文芸」「キャラ文芸」と呼ばれるジャンルだ。イラストを用いたカバーデザイン、マンガ的なキャラクター設定が特徴とされるが、じゃあラノベと一体何が違うのか!? 一般文芸はどうなってしまうのか!? オレンジ文庫MFブックスなど、いま注目を集めているレーベルの仕掛け人たちに直撃し、ウケる作品作りの裏側に迫った。

特集「キャラクター小説」 | ダ・ヴィンチWeb

こちらは「ライト文芸」「キャラ文芸」といった呼称が登場したあとの2015年に、「特集 キャラクター小説」と銘打ったもので、そのキャラクター小説を「マンガ的なキャラクター設定が特徴とされる」と説明しています。

どうも「キャラクターが魅力的である」と「キャラクターが立っている」と「キャラクターがマンガ的である」がやんわりとイコールで結ばれているような気がします。

「キャラノベ」人気が高まっている。「キャラノベ」とは、エンターテインメント小説のなかでも、読みやすい文体や言葉遣いで書かれ、舞台や人物がマンガ的に誇張されている作品のこと。

マンガのような主人公が活躍、「キャラノベ」が人気のワケ - 日本経済新聞

こちらは日経エンタテインメント!の2012年の記事。「マンガ的」=「誇張」と説明されていますね。「キャラノベ」というのは「ライト文芸」という呼称が登場するまでに一瞬だけ定着しかけていた呼称です。

時系列が前後しますが、こちらは2008年の記事。

――まず最初にお聞きしたいのですが、ライトノベルと普通の小説との違い、「ライトノベルらしさ」というのはどの辺りになるんでしょう?

大森氏:ライトノベルは、大塚英志氏が提唱した「キャラクター小説」説というのが一般的に言われてるんです。ストーリーとか描写とか文章とかよりも、とにかくどんなキャラなのかというのが大事なんですよ。そのキャラクターが小説的なリアリズムよりも、どちらかというとアニメキャラに近い、「アニメ的なリアリズム」で成立している、というのが特徴ですね。

 だから、割と現実的ではありえないような、例えば「うる星やつら」のラムだとか、「めぞん一刻」の音無響子さんだとかが、小説の中に普通にいるのがライトノベルの基本と言えますね。

ASCII.jp:30代で始めるラノベ生活! まずはコレを読め! (1/3)

この時点ですでに大塚英志の「キャラクター小説」論が独り歩きしていたことがよくわかりますね。「ストーリーよりも文章よりもどんなキャラかということが大事」だなんて随分と遠いところまで来てしまったなという感じです。

そして、ここでの「マンガ的」というのも、やはり大塚英志が言っているような小難しい意味ではなく、単なる「非現実的な誇張されたキャラクター」という意味でしかないようです。

というわけで

こうやって見ていくと、この「キャラクター小説」という言葉はもともとの用法から掛け離れて、

  • ライトノベルはキャラクター小説である
  • だからキャラクターを魅力的にしなければならない
  • 魅力的なキャラクターとは非現実的な誇張されたキャラクターのことである

みたいなツギハギされて何重にも歪んだ創作論と化してません?ってことなんですよ。

これならまだ「キャラクター商品としての小説」という意味で固定化されたほうがマシな気がしますよ。先ほども書きましたけど「キャラクターが魅力的な小説」だなんて何も言っていないに等しいのだから、もう「キャラクター小説」なんて言葉は使わなくていいと思うんですよね。やめちゃいましょうよ。ね。

『LOOP8』発売直前! 芝村裕吏が書いた最近のラノベを読もうのコーナー!

かつて『ガンパレード・マーチ』というゲームがありました。伝説のゲームです。愛すべき個性的なキャラクターたち。簡素だが自由度の高さを感じさせる箱庭的なプレイフィール。膨大な世界設定を背負った謎めいたストーリー。私も非常に楽しませていただきました。

その『ガンパレード・マーチ』のゲームデザイナーである芝村裕吏氏が開発に参加したゲーム『LOOP8(ループエイト)』が2023年6月1日に発売されます。ガンパレのゲームシステムを踏襲したRPGということです。いえーい。買うぜ。というか買ったぜ。DL版を事前購入したぜ。
loop8.marv.jp

なんかインタビューとかも公開されたりして盛り上がっております。
news.denfaminicogamer.jp

しかし。

しかしですね。いにしえのオタクほど「芝村裕吏」という人物を信頼していない。悲しいかなそれも事実なんですよね。

というのもガンパレのあとに出された「ガンパレの後継作」の評判がことごとく悪かったんですよ。それも「ガンパレのファンほど不満を募らせる」ようなかたちで。待望の続編だと思ったら分割商法だったとか。ネット上の企画で生まれた設定を盛り込みすぎてガンパレしかやってないファンが置いてけぼりだったとか。なんか単純にゲームバランスが悪すぎるとか。そういう怒りがぜんぶ芝村氏に向かっていったわけですね。

まあインタビューなんかを読んでも、どうにも癖が強くてふてぶてしくて、いかにも人に嫌われそうな感じですもんね。芝村氏。

それに『新世紀エヴァンゲリオン2』も『絢爛舞踏祭』も『ガンパレード・オーケストラ』も今ではなかなかプレイできないんですよね。ゲームアーカイブスでも出ていないし。だから「あらためてプレイしてみたけど今ならギリギリ受け入れてやらんでもない」みたいな和解もできないんですよ。「ガンパレの続編」を期待して裏切られた、あのときの気持ちが冷凍保存されたまま来ている人も多いんじゃないかと思います。

ただ、あれからずいぶんと経ちました。芝村氏はブラウザゲーム刀剣乱舞』のシナリオを担当して大ヒットに導き、『マージナル・オペレーション』で小説家デビューも果たしてそちらも評判は上々。さまざまな作品を次々と世に送り出しています。

いまなら信じていいのか芝村? 『LOOP8』は買ってもいいのか?

というわけで「ラノベ作家・芝村裕吏」の近作である戦記ファンタジー2作品をオススメしたいと思います。『LOOP8』は現代ものなのになぜ戦記ファンタジーなのか、といえば単純に面白かったからですね。それだけです。これらを読んで最近の芝村氏がどういう作品を書いているのかを知れば『LOOP8』を買う程度の信頼は取り戻せるかもしれません。取り戻せないかもしれません。よろしくお願いします。

やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい

bookwalker.jp
主人公はエルフに育てられた人間で、お人好しでおっとりとしていて、他の人間からするとすごくズレた感覚を持っています。そんな彼が「軍師」としての才能を発揮していくというストーリー。

エルフや巨人が存在するファンタジー世界でありつつ、現実で言えば16世紀くらいの銃器が普及しつつある時代設定です。芝村氏のミリタリ趣味が発揮されており「妖精管制間接射撃」だとか怪しいワードが炸裂します。

あとは「歴史家が後世から振り返ったような語り口」を採用しているのも特徴ですね。芝村氏が関わったゲームだと『エンブレム・オブ・ガンダム』という作品のシナリオがこういう疑似史書調で書かれていてクッソ叩かれたそうですが(未プレイ)、本作についてはそれが上手く決まっていると思います。「このときの主人公の行動が後世のこういう言い回しの語源となった」みたいな与太話とか民明書房みたいで愉快ですね。

戦記ファンタジーとしての本格的な部分と、主人公が醸し出すちょっとトボけた空気がちょうどよく入り混じっていて、とても楽しく読める作品なんじゃないかと思います。

紅蓮戦記

bookwalker.jp
こちらの主人公は、いかにも才気走った感じの少年で、実際に戦術級の強さを誇る桁違いの天才魔導師でもあります。しかし、いくら主人公の部隊だけが連戦連勝でも、全体としては衆寡敵せず、彼の母国は滅亡の淵に立たされています。そして、そこから彼とその部下たちによる、クソ性格の悪いゲリラ戦が始まるのであった…というストーリーですね。

『大軍師』が受け身型でいつのまにか雪だるま式に話が大きくなっていく物語だとしたら、こちらは主人公が敵味方を巻き込みながら突き進んでいくわかりやすく痛快な物語になっています。敵側の視点が多く挿入されているのも特徴で、お約束のように主人公にやられていくのはちょっとコントっぽいというかコミカルな雰囲気があります。

やはり芝村氏のミリタリ趣味が活かされた細かな軍隊描写があり、魔法というものをどのように戦闘教義に組み込むかというのも読みどころとなっています。

そして例によって例のごとく、実は『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』と世界設定が繋がってるんですね。いやそんなガッツリじゃなくて最後にちょろっとリンクしている部分が明かされる程度ですけど。いきなりよくわからん設定がダダ漏れてくるようなことはないのでご安心ください。


というわけで『やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい』と『紅蓮戦記』、併せて読んで『LOOP8』も買っちゃいましょう!

「好きラノ 2022年下期」投票

lightnovel.jp

僕らは『読み』を間違える

【22下ラノベ投票/9784041129883】

第七魔王子ジルバギアスの魔王傾国記

【22下ラノベ投票/9784824002341】

8歳から始める魔法学

【22下ラノベ投票/9784824002419】

2022年ライトノベル個人的ベスト10

1. 『ヘンダーソン氏の福音を』

個人的に今年は「なろう系の評判いい作品をあらためて読んでみよう」キャンペーンを開催していまして、この作品もそのうちの一作でした。心躍る冒険を描くオーソドックスな異世界転生もので、分かりやすく売りになるような設定とかは無いんですが、とにかく基本的な部分のクオリティがめちゃくちゃ高いんですよ。一巻だけは昨年読んでいたんですが、そのときはあんまりピンと来なくて、そのあと2巻も読んでみるかと思ったら面白くて、続けて3巻も読んでみたら超絶バチクソ面白かった。というわけで、ちょっとスロースターターな作品なんですが、しかしそのウィークポイントを補って余りある面白さだと思います。
あと注意点として、各巻の最後に「ifルートを描いた短編」が載ってるんですが、それがifルートだとわかってないとだいぶ混乱する、というのがありますね。私は混乱しました。「なんか急に時間が飛んだぞ????」ってなる。もちろんちゃんと読んでみると超面白くて、どのifルートも「スピンオフとして連載してくれ〜」と思いまくる出来です。

2. 『第七魔王子ジルバギアスの魔王傾国記』

魔王に殺された勇者が、その魔王の息子に転生する、という設定だけで楽しくなりますよね。そこで主人公は、内側から魔王を倒すことを目指すのですが、周囲から疑われないために救うべき人類を殺してみせないといけなかったりする。ダークヒーローなんですよね。主人公の能力が「禁忌を犯すほど強くなる」というもので、それが「目的のために禁忌を犯さざるを得ない」という主人公の立場をそのまま表しているのが上手い。魔王や他の王子たちも、キャラとしてはすごく魅力的で感情移入してしまうんですけど、でも確かに人類とは決定的に相容れない部分もある。そのアンビバレントな面白さ。続きがとても楽しみです。

3. 『ブービージョッキー!!』

若くしてダービージョッキーとなった主人公がそこからスランプに陥ったところでお姉さんと出会って復活を目指す…という話。言ってしまえば『りゅうおうのおしごと!』の競馬版といった感じなんですが、それが本当に『りゅうおうのおしごと!』と同じくらい面白い。「サラブレッドが好きだ」というキラキラとした初期衝動が詰め込まれた、熱く、楽しく、輝かしい物語となっています。

4. 『Dジェネシス

こちらも「なろう系の評判いい作品をあらためて読んでみよう」キャンペーンで読んだ作品でした。現代にダンジョンが出現して、モンスターが現れたり、人類が特殊能力を身につけたりする、いわゆる「現代ダンジョンもの」としては随一のクオリティだと思います。科学知識や政治描写を駆使して「ダンジョンが現代社会に与える影響」を深く掘り下げていく。「そろそろ現代ダンジョンものを一つ読んでおきたい」という人に断然オススメですね。

5. 『ハイセルク戦記』

これもものすごい作品でしたね。一巻は「平兵士の青年が戦場でズタボロになりながら次第に覚醒して強くなっていく」という、面白いながらもかなり地味な話だったんですが、二巻では最強格の兵士となった主人公が、とある「戦況の激変」に巻き込まれて、勝利を望めぬ凄絶な防衛戦に身を投じていくことになるんですよ。地獄のマラソンのゴールがようやく見えてきたかと思ったら、いきなり目の前が崖になってノーロープでバンジージャンプを始めたみたいな衝撃ですよ。誰かに読ませて反応を見たいという点では今年ナンバーワンでした。

6. 『12ハロンのチクショー道』

またまた競馬もの。なんと競走馬に転生した男が主人公なんですが、本編はその「サタンマルッコ」と名付けられた規格外の競走馬を中心として、その周囲のさまざまな人たちの視点から語られる群像劇といったおもむきになっています。酸いも甘いも知っている長年の競馬ファンがディープに描き込みましたという感じの、『ブービージョッキー』とは好対照な作品だと思います。ぜひともセットで読んでほしいですね。

7. 『亡びの国の征服者』

昨年に引き続き、本当に素晴らしい完成度の高さでした。現代知識を上手く活かすタイプの作品で、若きリーダーとして社会を変革したり、戦争に赴いたりするところを描いているのですが、とにかく物語の幅が広いうえに、細かい部分まで作りが丁寧で、めちゃくちゃ面白いんですよ。転生もののマスターピースですよね。

8. 『8歳から始める魔法学』

主人公がいかにも学園ファンタジーの悪役的な「貴族のドラ息子」に転生する話なんですが、そこで単純に改心するというより「冷酷だがどこか一本筋の通った悪役キャラ」として育っていくんですよね。主人公のもともとの性格がちょっとドライだったりして。で、同級生に勇敢で正義感の強い、いかにも主人公的なキャラがいて、その二人がライバルとして張り合っていく。男と男の巨大感情ってやつですよ。学園青春ものとしても読める優れた作品でした。

9. 『エナメル』

生まれも育ちも頭脳も容姿も、あらゆるものに恵まれたヒロインが、しかし事故で下半身不随となり、その責任を負った主人公が彼女のワガママに応え続けるという、歪な関係を描いた青春ミステリ。殺人事件とかは起きないながらも、ちょっと嫌な気分になるような事件ばかりで、全体的に陰鬱な雰囲気があるんですけど、そういうベールを剥ぎ取ってみると、可愛いらしいくらいの恋愛小説だったりするんですよね。暗くて痛々しい青春ミステリ、大好きです。

10. 『転生したら皇帝でした』

こちらも転生ものですね。とにかく「政争」の部分に力を入れているのが特徴的な作品です。幼くして皇帝に即位した主人公が密かに実権を取り戻そうとする、というのが大まかな流れなんですが、大きな戦争よりも政治的な駆け引きのほうに重点が置かれていて、各国の歴史とか政治体制の説明にだいぶ紙幅が割かれていたりします。かなりスローペースで地味な作品なんですけど、歴史小説的な面白さもあってとても良かったです。