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なろう系、ドパガキ向け説。

(以下の記事は、特に神経科学を学んだわけでもない素人の与太話として受け取ってください)

「ドーパミン」って、いまはなんとなく「飽きっぽい」「集中が続かない」みたいなイメージになってますが、本来は「やる気を出す」「集中する」ための神経伝達物質なんですよね。目標が発生する→報酬を期待してドーパミンが出る→やる気が出る→目標を達成する→達成感によりドーパミンが出る→次の目標に向かう意欲が生まれる、みたいな。

TikTokのようなショート動画は「ドパガキ向け」と言われることが多いですが、別にショート動画なんて一つ一つは大して面白くない、めちゃくちゃ興奮するわけでもないわけで、それでも見るのがやめられないのは、「動画を観た」という小さな達成感や、「次はどんな動画が来るだろう」という小さな期待感が、絶え間なくやってきてドーパミンが放出されるからだという話なんでしょう。

つまり、なんか派手なギャンブルとかだけでなく、もっと「作業ゲー」的な、次々にタスクが降ってきて、それを解決するとちょっと大きなことが出来るようになって、さらに繰り返すうちに作業に没頭していって、やめられなくなってしまう、というのも、立派なドーパミン・コンテンツなんじゃないかと思うわけですよ。

といったことを、つらつらと考えていると、「それってなろう系だよなあ」と思うわけです。

なろう系って「チートで無双してスカッと気持ちいい」みたいな見方をされることが多いですが、実際の作品を読んでみるとめちゃくちゃ淡々としていることが多いんですよね。アップダウンの激しいジェットコースターではなく、なだらかな坂をずっと上りつづけていくような「スローペース・ロングスパン」の物語構成だったりする。

特にゲーム転生や内政ものに顕著ですが、「スカッとする」ことに重きを置いたドラマチックな展開ではなく、淡々と敵を倒していく、クエストをこなしていく、レベルアップして新しいスキルを得る、新しいアイテムを得る、また淡々と敵を倒していく、という繰り返しの「作業感」のほうが強い。でもそうやって読んでいくうちにだんだん没頭して読むのがやめられなくなる。こういうところがショート動画に近いんじゃないかと思うんですよね。

これはもちろん「ドーパミン狙いだから良くない」という話ではありません。どんなフィクションでもそれを楽しむという過程のなかではそりゃあ何かしらの脳内物質が働くものでしょう。

たとえばピンチに次ぐピンチをギリギリで切り抜けるようなアクション映画はわかりやすく「アドレナリン」的ですよね。「なろう系はピンチがないからダメだ」などと批判する人がいますが、そういう人はべつに高尚なことを言っているのではなく、「俺はドーパミン系よりアドレナリン系のほうが好きだ」と言っているにすぎないわけです。

思わず泣いてしまうような感動的な物語は「オキシトシン」的と言えるのではないでしょうか。オキシトシンは、人とのふれあいなどで分泌されて、仲間意識とか信頼関係とかを発生させるらしいです。オキシトシンは、読者をキャラクターに共感させ、思わず彼らを応援するように働いているわけです。

こんなふうに物語の類型を脳内物質の働きから考えるというのも面白いかもしれませんね。もちろん実際には、単一の脳内物質によって単一の感情が生まれているわけではなく、さまざまな脳内物質の複合作用によって「面白い」「楽しい」という感情が生まれてくると考えるべきなんでしょうけど。

「最強主人公」の物語類型

物語の面白さは「変化」により生まれるものであり、その変化を描くためのベーシックな要素が「成長」であるので、「成長」を描けない最強主人公ものは、早々に行き詰まりやすい。いわゆる「なろう系」も、意外と「成長」を描くものが多いのだが、そうでない場合は、やはり「出オチ」で終わってしまいがちである。長く続けられるかは「主人公の周囲に視点を移す」ことができるかどうかに懸かっていると思う。

というわけで「最強主人公」を描く作品にどんなタイプがあるかを考えてみよう。

主人公の仲間を描くタイプ

主人公が教師のようなポジションに就き、その仲間や弟子たちの成長が物語のメインとなる。単純な「教師もの」だけではなく、たとえば最初は主人公の活躍を描いておいて、それが限界を迎えたときに、仲間の視点に徐々にスライドしていくみたいな。群像劇的になっていく。『魔法科高校の劣等生』あたりはそういう感じではないか。近年だと『葬送のフリーレン』もわりとそういう側面があるか。

主人公の敵を描くタイプ

最強の主人公と戦うにあたって、その敵がどういう工夫をするか、どういう思いを持っているのかを描き、読者をそちらに感情移入させておいて、最強主人公に立ち向かう彼らを応援させる。個人的に、このタイプの作品というと『ああ播磨灘』を思い浮かべるのだが、私自身が『ああ播磨灘』を読んだことがないので挙げづらい。最近だと『無敵のスバル』がこの形式だなあ。『スーパーマン』なんかも、最近の映画を観ていると、ヴィランがどうやってスーパーマンを倒すかという話になりがちな気がする。

最後に主人公が登場するタイプ

まず、普通の人たちの物語を描き、彼らが絶体絶命の窮地に陥ったときに、デウス・エクス・マキナがごとく登場した主人公が敵を倒して大団円となる。最初から主人公が動いていたら何でもすぐに解決してしまうので、なんとか理由をつけて主人公を遅刻させなければならない。古くは『水戸黄門』、今なら『ワンパンマン』あたりが代表格になるだろうか。特撮ヒーローが最初から変身しないとかもこれかもしれない。

主人公を弱体化させるタイプ

それは最強主人公なのか?という感じではあるが、一つの解決策ではある。最強主人公が書きづらいなら弱くしてしまえ。主人公が無力化されれば周囲の活躍も描きやすくなるだろう。「主人公が強すぎる戦記ファンタジー」を描いた最初期のライトノベルに『火の国、風の国物語』という作品があるのだが、主人公が「ある能力」を失ってしまい泣きながら逃げ出すというシーンが終盤の見どころになっている。あれは印象的だったな。

パッと思いつくのはこのくらいだが、他にもあるだろうか。もちろん複数のタイプを組み合わせて「敵の策略により弱体化してしまった主人公が危機に陥った仲間を救うために能力を取り戻して敵を倒し大団円」みたいなのもぜんぜん王道展開のひとつだよなあ。

自分のライトノベル・オールタイム・ベスト100と『ライトノベル大全』の差分を語る

以前、ライトノベルのオールタイム・ベストを考えたことがありました。
kazenotori.hatenablog.com

これは当時、中津宗一郎氏が「ライトノベル名作150選をつくる」ということを発表されていまして、それに乗っかって自分でも100作ほど選んでみようということだったんですが、その中津氏がつくっていた「ライトノベル名作150選」が「500選」になって『ライトノベル大全』という名前で実際に出版されました。

私自身はまだ購入しておらず、BOOK☆WALKERで電子版が出たら買うかも、という感じなので話題にするのはちょっと気まずいのですが、どういった作品が収録されているかは公式サイトで発表されているので、自分が選出したオールタイム・ベスト100に入っていて、『ライトノベル大全』には入っていない作品をいくつかピックアップしてみようかなと思います。

マリア様がみてる

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『大全』は少女ラノベを扱っていないので、『十二国記』も『まるマ』も『少年陰陽師』も『彩雲国物語』も、そして『マリみて』も収録されていません。仮に少女ラノベをパージするにしても、男女問わず人気のあった『マリみて』くらいは入れてしかるべきではないかという気もします。

さて『マリみて』は、女学校における疑似姉妹・疑似恋愛関係を描いた「エス」と呼ばれるような作品の系譜にあります。『マリみて』自体はわりとコミカルで、かなりマイルドに仕上がっているのですが、だからこそ女性だけでなく男性向けにも大人気となったのかもしれません。『マリみて』人気に後押しされて『コミック百合姫』が創刊されたことも含め、『マリみて』がオタクのあいだに「百合」を広めていく契機となったのです。少女ラノベ史においても、百合史においても、記念碑的な名作だと言えるでしょう。

とはいえ、『マリみて』自体の存在感で言えば、近年は意外と薄いかもしれません。続編やリメイクなどの供給がないということもあります。また「百合」というジャンルはすっかり男性オタクのあいだにも広まりましたが、その過程で「エス」的なものは脱臭されていったように思います。あるいは「百合」のかたちが多様化した結果として、「エス」的なものだけではなくなったと言うべきでしょうか。

GOTH

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『大全』では、乙一の作品は『夏と花火と私の死体』と『失踪HOLIDAY』の二作が収録されているようです。まあそのチョイスは分かりますよ。でも自分のなかでは乙一といえば『GOTH』なんですよね。

『GOTH』は、人間の異常性、特に「死」や「殺人」に魅入られた二人を主役としたミステリで、この当時の世相が反映されています。世相というのはつまり、金融機関が次々と破綻し、未曾有の震災があり、カルト教団が毒ガスを撒き、終末の予言が信じられ、誰もが慄く連続殺人の犯人が中学生だったという、あの時代のことです。

「ナイフ」は殺人衝動の象徴として描かれる。同時代の『戯言』も『空の境界』もそうです。でも異常者が人を殺してまわるようなスリラーサスペンスじゃない。異常性をことさらアピールしていくサイコホラーでもない。もちろん周囲と比べれば異常だけれども、自分のなかではそれは当たり前のことであって、だからその衝動と上手くつきあって社会に合わせていくしかないという、「落ち着いた異常性」とでも言うべきものが描かれるわけです。そういった「あの時代」の作品群のなかの傑作として『GOTH』は位置づけるべきなんだと思いますね。

NHKにようこそ!

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『大全』では滝本竜彦は『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』のほうが収録されているらしい。まあ確かに作品としては私もそちらのほうが好きですよ。でも滝本竜彦の代表作といえばやはり『NHKにようこそ!』のほうじゃないですかね。漫画やアニメもヒットしましたしね。

滝本竜彦は、「元・引きこもりのエヴァマニアのオタク」として鮮烈にデビューした人で、まだオタクに市民権のない時代においては一廉の存在感があったというか、2000年代前半はインターネットの普及期であり、2chの拡大期であり、エロゲの最盛期であり、アングラとしてのオタク文化の成熟期であり、だから何人か「若いオタク論客」的な存在がいたんですけど、そのうちの一人ではあったんですよね。

そうした中で、特に『NHKにようこそ!』は、オタクカルチャーをネタにした最初期のラノベとして位置づけるべきでしょう。たとえば『乃木坂春香の秘密』は、オタクをネタにしたラブコメとして『俺妹』に先行しているのですが、それが当時でも目新しさを感じられなかったのは、それ以前に『NHKにようこそ!』があったからだとも言えるのではないでしょうか。

マルドゥック・スクランブル

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『大全』では、冲方丁では『シュピーゲル』シリーズがピックアップされているらしいですが、でも登場のインパクトでは『マルスク』のほうだよなあ、と思います。

「越境」というムーブメントがありました。ライトノベル作家が一般文芸へと進出することを指します。2000年代半ばから大々的に行われるようになり、桜庭一樹が直木賞を取ったり、有川浩の『図書館戦争』がヒットしたりして、最終的には「ライト文芸」という領域の創出につながり、いまでは「ラノベ作家が一般文芸も書いている」のは当たり前だとして、あえて「越境」なんて言うこともなくなりました。

『マルドゥック・スクランブル』、あるいは「冲方丁」という作家そのものが、その越境の代表格だったんですよね。2003年にハヤカワが「次世代型作家のリアル・フィクション」と銘打ったキャンペーンをやって、その最初のラインナップに『マルドゥック・スクランブル』があり、それが大好評を得たことでライトノベルとSFは(もとから親和性は高かったのですが)ますます緊密になっていったというわけです。


あとは個人的に思い入れがあるわけではないが「これ入らないんだ?」と思った作品。

魔弾の王と戦姫

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2010年代の戦記ファンタジーラノベから一つだけ選ぶとしたら、『魔弾の王と戦姫』か、それとも『天鏡のアルデラミン』か、という話だとは思うんですよね。個人的には『アルデラミン』はもちろん大好きな作品なので、『大全』がそちらを選んだことに異議はないのですが、『魔弾の王』が先鞭をつけたという功績は強調しておくべきだろうと思います。

戦記ファンタジーについては以下の記事でざっくり語っています。
2020年代前半の「戦記ラノベ」についてオススメなどを語る - WINDBIRD::ライトノベルブログ

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…

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こちらも、悪役令嬢ものの系譜から一つだけ選ぶとしたら、『謙虚、堅実をモットーに生きております!』か、それとも『はめふら』か、という話なんでしょうね。『大全』は先駆者としての『謙虚堅実』を選んだようですが、世間に広めたのは『はめふら』のほうなんですよね。なにより『謙虚堅実』は出版されていないとこらが難しく。「なろう史」においては確実に『謙虚堅実』が挙がるでしょうが、「ライトノベル史」においては『はめふら』を語るべきではないか、という気もしますね。

悪役令嬢ものについては以下の記事でざっくり語っています。
悪役令嬢は「小説家になろう」において如何にして生まれたか? - WINDBIRD::ライトノベルブログ

君の膵臓をたべたい

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『大全』って、ライト文芸を取り上げることに躊躇はないようだけど、それなら『キミスイ』は確実に入るでしょうと思うんですけどね。「なろう」発でトリプルミリオンですよ。ラノベ史どころか日本文学史にも記されるのではないだろうか。

わたしの幸せな結婚

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こちらも近年のライト文芸を代表するヒット作で、『大全』に入らないのは不思議ですね。あ、もしかして「少女ラノベ」判定なのか?


ついでに自分のライトノベル・オールタイム・ベスト100には入れていなかった(補足で書いてはいた)が、500作品も選ぶなら『大全』に入れてほしかったなあ、という作品。

ぼくと魔女式アポカリプス

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個人的には思い入れの深い作品なんですよ。2000年代の「学園異能」というジャンルを代表する作品で、そもそも「学園異能」というジャンル名が生まれたのはこの作品がきっかけですしね。暗黒魔法少女ものの先取りですし(『りすか』のほうが先行していますが)、2000年代半ばにジャンル横断で流行していたバトロワものの一つでもあります。いろいろな角度から語れる名作で、いかにもラノベ史に記録したい作品だと思うんですよね。

火の国、風の国物語

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何度でも主張していきたいんですが、ラノベに「最強主人公」「俺TUEEE」を持ち込んだのは、この作品と『鋼殻のレギオス』なんですよ。まあ『大全』には『鋼殻のレギオス』が選ばれているのでいいんですけど。『火風』の主人公の強さは、なんというか、他の強キャラがLv50くらいのなかで一人だけLv99の強さなんですよね。単に強いというだけでなくて「飛び抜けた強さ」になっている。それがすごく新鮮だったわけです。

幽霊列車とこんぺい糖

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『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』と並べて語られる富士ミスの百合小説の傑作。近年になって星海社から復刊されました。著者の木ノ歌詠は、のちに「瑞智士記」とペンネームを変えて、『星刻の竜騎士』などのヒットを物したのですが、自分のなかではいまでも「百合の人」というイメージですね。というか2000年代の百合ラノベ群が軽視されてないですか。アサウラは『ベン・トー』だけではなく『バニラ』でも語るべきではないですか。でも扇智史を載せているのは偉いぞ『大全』。


こんなところでしょうか。まあ史観は人それぞれなので、『大全』のチョイスに本気で文句を言うつもりはありません。みんなでそれぞれオールタイム・ベストとかを選んでみるといいのではないでしょうか。

「ロボットもの」の面白さは何か、あるいはロボットものラノベのすすめ。

巨大人型兵器を描いた物語、いわゆる「ロボットもの」がなぜ面白いのか、ということについて、『閃光のハサウェイ』を観てきた勢いで書いていく。

巨大人型兵器は不合理な存在である。現実的に考えれば人型にする必要はない。二足歩行よりキャタピラのほうが安定している。操縦者は上下に揺さぶられてひとたまりもない。あんな巨大なものをどうやって動かすのか。実物大ガンダム像なんかちょっと動くだけでも巨大な「支え」が必要じゃないか。

「ロボットもの」の長所はそこにある。

巨大人型兵器というものがあまりにも不合理であるが故に、そこに何とか理屈をつけるための言い訳、もとい「設定」が必要になる。それは単にロボットだけの話ではない。ロボットの装甲に使われる特殊な金属は資源問題を引き起こし、ロボットを動かす謎のエネルギーは社会を新たな姿へと変える。巨大人型兵器を成り立たせるための設定を作っていくことで、次第に作品世界が形づくられていくのである。

不合理すぎて、それを存在させるためには、世界から作らないといけない。

それこそが、個人的に考える「ロボットもの」の良さである。

  • なぜ人型なのか?
    • なぜ手足がついているのか?
    • なぜ車輪や多脚ではないのか?
  • 大きさは?
  • 材質は?
  • 動力は?
  • 武器は何か?
    • そのビーム的な銃の原理は?
    • そのバリア的な盾の原理は?
  • 操縦方法は?
    • なぜ無人機ではないのか?
  • 主役機は何が特別なのか?
    • なぜ高性能なのか?
      • 主役機に隠された謎の能力とは?
    • なぜ量産できないのか?
  • なぜ主人公がパイロットなのか?
    • なぜ操縦能力が高いのか?
      • 主人公に隠された謎の能力とは?
    • なぜ他人が操縦できないのか?

こうした疑問に対して、いくつかの回答を準備して、もっともらしさを積み上げていく行為そのものが、ロボットものの醍醐味なのだと思う。

たとえば『機動戦士ガンダム』には「AMBAC」や「ミノフスキー粒子」といった設定がある。ミノフスキー粒子によりレーダーやミサイルが使えず、宇宙でも有視界戦闘をせねばならない。そうすると小回りの効かない宇宙戦艦よりも、AMBACにより縦横無尽に動ける巨大人型兵器のほうが優勢になる、といった理屈なのである。そうした理屈を積み上げていくことで「主人公は超能力でレーダーのように周囲の状況を感じ取れるから強い」とか「その超能力を応用することでミサイルを使えるようになる」といった設定がさらに派生していくのである。

『フルメタル・パニック!』に登場する巨大人型兵器「アーム・スレイブ」では、操縦者の動きをトレースするマスター・スレイブ方式の操縦方法や、人間の精神に由来する「ラムダ・ドライバ」という兵器、それを実現するための「TAROS」といったシステムを用意することで、「人型の必然性」を説明している。「なぜアーム・スレイブは人型なのか?」という疑問が、重要な問いとして実際に作中に登場し、それがクライマックスの展開にまで繋がっていくのである。

もちろん、いずれも後付けの設定である。まず先に「ロボットにチャンバラをやらせたい」「ロボットに派手な超能力を使わせたい」という要望があり、後からそれにもっともらしい理由をくっつけていっただけである。

だから、これは「考証の正確さ」を求めるような話ではない。むしろ後付けの嘘っぱちでもいいからひたすら積み上げた設定が、作品世界に奥行きをもたらし、それが思わぬ「面白さ」を生み出すのだ、という話なのだと思う。

ついでにライトノベルの話もしておこう。

だから私はロボットものに必ずしも「チャンバラ」を求めていない。極論すれば「巨大人型兵器」よりも「巨大人型兵器を成り立たせるような設定群」を読みたいと思っているのであって、戦闘シーンはそれに付属する美味しいオマケくらいの感覚なのである。

以前、どこかで「どんなロボットものを読みたい?」と訊かれて「銀河英雄伝説のロボット版」と答えたことを覚えている。銀河英雄伝説は、戦艦同士の単純なビームの撃ち合いだけでなく、それを取り巻く戦術や戦略、あるいは政治や歴史が面白い作品である、と思う。つまりは、そういうことである。

小説でロボットものを書くのは難しい、ロボットもののアクションシーンは特に難しい、と言われることがあるのだが、逆に「大量の設定を書く」という点について、小説よりも向いているメディアはなかなか無いだろう。そういうところでは「ラノベはロボットものに向いている」とも言えるのではないか。

近年のラノベでもロボットものは増えており、それ自体は喜ばしいことなのだが、その多くがなろう系の流れの中から出てきているファンタジーロボットなので、その設定なんかもわりとファンタジーということで誤魔化されがちである。それがもったいないと思うのである。

最近では生成AIなどもあり、設定づくりのハードルは下がっているのではないかとも思う。「巨大人型兵器が成り立つ理由」を意識しながらラノベを書いてみるのはいかがだろうか、という提案をして末筆とする。

2025年ライトノベル個人的ベスト10

1. 『悪役令嬢、宇宙を駆ける』

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家柄だけで地球帝国軍の提督になった少女が、異星人との戦いで大敗を喫し、左遷された先で老いさらばえ、とうとう死んだあとに何故か若い頃に生まれ変わって人生をやりなおす、という話。さらに、士官学校の演習中に戦艦がなぜか超長距離ワープして異星人とファーストコンタクト、優秀な同級生たちと協力しながら地球帰還を目指すことになる、というのが一巻の内容。スペオペ戦記としての王道的な面白さに、十五少年漂流記のようなジュブナイル風味もあり、それらを「悪役令嬢」+「やり直し」という今風のフォーマットを使って上手くまとめあげているんですよね。二巻はさらに怪しげな宗教や宇宙海賊、古代兵器など、ますますエッセンスてんこ盛り。素晴らしかったです。

2. 『退魔師転生』

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狐目で関西弁で性格が悪い退魔師の名門の御曹司。まあ『呪術廻戦』の禪院直哉なんですよ。ほぼ二次創作です。ただそれがめちゃくちゃおもしろい。フォーマットとしてはやはり悪役令嬢もの、というか悪役令息もので、転生した主人公は自らの「死亡フラグ」をなんとかしようとするのですが、しかし染み付いた性格の悪さは直らない。もともと「ノクターンノベルズ」に投稿されていたということもあってアダルトなシーンもかなり多く、それがダークヒーロー的な面白さを引き立てています。もちろん異能バトルとしても単純に出来が良い。戦闘シーンがかっこよくて痺れます。

3. 『若くして引退した銀河帝国元帥は辺境の星でオーヴァーロードと暮らしたい』

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瀬尾つかさといえば『クジラのソラ』の頃からSFには定評があったわけですが、まさに期待どおりの快作でした。表面上は「ファンタジー世界でスローライフ」といった感じなんですが、その主人公は銀河帝国の英雄であり、終盤には宇宙艦隊戦があるのはもちろん、その背景では広大な銀河帝国での政争が繰り広げられている。主人公の周囲にいるドラゴン娘やらエルフ娘やらも、しっかりしたSF的な設定に支えられているわけです。ファンタジー世界とSF世界の良いとこどりがとても美味しい作品でした。

4. 『スペースオーク』

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オークが宇宙を股にかけて戦うなろう系スペオペの第二弾。昨年のベスト10にも入れましたが、続編もやはり期待どおりの面白さで、今年はもう完全にSFラノベの年でしたね。一巻はオークの本拠地での話が中心でしたが、今回はオークのお姫様を戴いた新部隊を率いて、主人公が各地を転戦するという流れ。そのぶん新しいキャラ、更なるイベントが次々とやってくるのが楽しく、このごった煮な感じがスペオペの醍醐味ですね。

5. 『処刑大隊は死なせない』

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政治警察+暗殺部隊みたいな仕事をしている主人公たちが、貴族を粛清したり提督を暗殺したりする話。スパイものというほどハードボイルドではなく、ほどよく肩の力が抜けたアクションコメディになっています。やがて革命が成就し、帝国が崩壊するにいたって、そんな厄い職場からどうやってトンズラするかという話になっていく。2巻で完結なんですが、これがまた綺麗にオチがついていて最高でした。

6. 『フェイスレス・ドロップアウト』

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引退した宇宙傭兵がファンタジー惑星で隠居する話。設定としては『若くして引退した銀河帝国元帥〜』と同じ系統ですが、こちらはSF戦記的な要素が無いかわりに、惑星開拓シム的な匂いが強くなっていますね。『最強宇宙船』の作者だけあって一夫多妻のハーレムなのですが、こちらのヒロインたちには「独自の生態がある原住民」感があってクセも強いです。面白かったです。

7. 『奇想怪談×天外推理』

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「天狗の神隠し」「男根を断つ妖刀」「人を狂わせる館」といった怪談の真相を、オカ研が推理していく連作短編ミステリ。作者・玩具堂の十八番である「作中作の読み解き」を活かした内容になっていて、民俗学ミステリ的なゾクゾクを味わうことができます。単に怖いだけではない、オカルトを否定するだけでもない、独特の「おかしみ」が作者の味ですね。

8. 『崩壊世界の魔法杖職人』

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現代文明の礎となる「電気」が天災によりすべて失われ、かわりに「魔法」が使えるようになった人類社会を描く、ポストアポカリプス復興もの。この作者は「こういう能力があったらどう使えるだろう」「こんな行動をしたら社会はどうなるだろう」という好奇心をくすぐるのが本当に上手い。個人が魔法を研究した成果が、社会に反映されて物語が動いていく、このスケールの広げ方、テンポの良さが魅力です。

9. 『カラフ撤退戦』

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『ALL YOU NEED IS KILL』などを彷彿とさせるSFミリタリアクション。上下巻完結。ハードコアゲーマーの主人公が謎のVRゲームをプレイする。異種侵略者との戦争のなかで、ハリウッド映画の英雄のごとく活躍するにつれ、次第にその世界に没入していく。「これはリアルなのかゲームなのか」なんてどうでもいい。この絶望的な撤退戦にウジウジと考えている余裕は欠片もない。その吹っ切ったような展開が良かったですね。

10. 『斯くして彼は異能となった』

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前半は「ホラゲベースの現代ハクスラもの」、謎の廃村で悪霊を殺して食って強くなっていく話。そこから脱出した後半は「霊能系の異世界帰還もの」、芸能界やお嬢様学校の悪霊がらみの事件を解決していく話。「序盤の展開からそういう話になるとは思わなかった」という意外性があって、それは乱雑さと紙一重ではあるんですが、ある意味では独自性を感じて好きな作品です。今後の期待も込めて入れておきます。

2025年ライトノベル10大ニュース

ドラゴンマガジン休刊

www.oricon.co.jp
ザ・スニーカーは2011年、電撃文庫MAGAZINEは2020年にすでに休刊しており、今年ドラゴンマガジンが休刊となったことで、ライトノベル雑誌はすべて姿を消したことになりました。しかし、ドラゴンマガジンの編集部は後述の「メクリメクル」に参画しているようで、ある意味では「メクリメクル」がドラゴンマガジンの後継誌と言えるようですね。

「キミラノ」が発展的解消して「メクリメクル」に

mequrimequru.jp
というわけで「メクリメクル」です。レコメンドサービスと銘打って作品紹介に力を入れていた「キミラノ」よりも、内容としては雑誌的になっているようです。特に連載コラムの充実が目を引きますね。ラノベだけではなく、いろんなエンタメ業界を横断しながら賑やかにやりましょう、という印象を受けます。「次にくるライトノベル大賞」などもメクリメクルが引き継いだみたいですね。

人気作品が「100刷」を達成

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『ハルヒ』『禁書目録』『SAO』が揃って「100刷」を達成したそうです。時期を合わせたのかわかりませんが、おめでたいことです。ちなみに川原礫が言っている「BECファクトリー」とは、KADOKAWAが自前で持っている印刷設備のことで、少部数からでも印刷できるので「刷数」が増えやすいということだと思われます。

noteが小説投稿サイト「TALES」をオープン

tales.note.com
ブログサービスのnoteはもともと「創作大賞」というコンテストを主催しており、そちらはエンタメ小説にかぎらずエッセイ・ビジネス記事・料理レシピまで募集しているという幅の広いものなんですが、そこからの発展として小説投稿サイトを作ったということでしょうか。コンテストが先にあって、後から投稿サイトができるという、ちょっと珍しいパターンになりました。サイトの傾向としてはカクヨムに近そうですが、より広範囲にメディアミックスの起点になりたいという意識を感じますね。

「蓬莱学園」復活

www.4gamer.net

プレイ・バイ・メールの伝説的なゲームである『蓬莱学園』が4gamer上で復活しました。もちろんゲームとしてではなく連載小説としてですが。私は世代ではありませんが、その後世への影響はつとに聞くところです。
あの巨大学園が帰って来た! 次週よりスタートする新連載「蓬萊学園の揺動!」に先駆け,その世界観をざっくり紹介

一方、実在の学校が「蓬莱学園」に学校名を変更すると発表したことで騒動になったりも。こちらは話し合いで無事解決したようです。
「蓬莱学園」人気ゲームと同名学園、香川に誕生の珍事 指摘受け発覚「創作活動を妨げる意図一切ない」: J-CAST ニュース【全文表示】

ラノベニュースオンラインアワード10周年

lnoaward10th.ln-news.com

単にアワードが10周年という以上に、現編集長のもとでラノオンがリブートしてから10周年ということなので、とてもおめでたいですね。いにしえの「モノグラフ」の閉鎖以来、多くのラノベニュースサイトが生まれては消えていきました。結局はニッチなので漫画やアニメほど読者を見込めないんですよね。最初期のラノオンだって早々に開店休業状態でしたし。そこから建て直して、現在まで立派に運営をされている現編集長の功績を称え、深く敬意を表したいと思います。

ラノオン主催のライトノベルミーティングも盛り上がっていたようですね。
プロ・アマチュア問わずのクリエイター&編集者の交流イベント「#ラノベの仕事したい! 第1回ライトノベルミーティング」が2025年8月24日(日)開催決定 - ラノベニュースオンライン

出版社がアニメ制作会社を子会社化

もともとKADOKAWAあたりは「動画工房」などのアニメ制作会社を子会社に持っていたのですが、今年はアルファポリスが「WHITE FOX」を子会社化。
prtimes.jp

さらにフロンティアワークスも「横浜アニメーションラボ」を子会社化。
prtimes.jp

アニメの人気は上がっているのに制作会社の経営は苦しいと言われるなかで、出版社はメディアミックスに際してさらなる連携を求め、アニメ制作会社は体力を得るために親会社を求めているんでしょうか。

イラストレーター・がおうの不祥事により挿絵交代

www.oricon.co.jp
イラストレーターの「がおう」の不祥事により、アニメ化作品『ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います』や『追放者食堂へようこそ!』のイラスト担当が交代となりました。デビュー直前だった『1/nのワトソン』も絵師変更のうえ刊行延期。既に完結している『ハレルヤ・ヴァンプ』は容赦なく電子書籍配信停止となりました。本当にかわいそうでしたね。ずっと「店頭」に並び続けるのが電子書籍のいいところなのにな。

うえお久光復活

dengekibunko.jp

秋山瑞人・谷川流と並ぶラノベ界三大遅筆作家(?)の一角として、新作が絶えて久しかったうえお久光がついに復活。電撃文庫の小説サービス「電撃ノベコミ+」にて連載が始まりました。書籍化が楽しみです。

また芳林堂書店の企画で傑作『紫色のクオリア』が復刊していたりもしましたね。うえお久光作品では、個人的には『悪魔のミカタ』が思い出深いです。

田中芳樹、脳内出血で倒れていた


『銀河英雄伝説』『アルスラーン戦記』などを執筆した、ラノベ黎明期からのレジェンド作家・田中芳樹が一年前に脳内出血で倒れていた、という報告がありました。不幸中の幸いというべきか、命に関わるようなものではなかったようで、御本人はリハビリに励んでおられるようです。こちらもぜひとも復活していただきたいですね。

『ロビンソン・クルーソー』は本当に長文タイトルだったのか?

ラノベ界隈において「異世界転生といえば火星のプリンセス」「現代知識チートといえばアーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー」 と並ぶ頻出ネタとして「長文タイトルといえばロビンソン・クルーソー」というものがあります。

Wikipediaによるとその「正式なタイトル」は『ヨークの船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と奇妙で驚くべき冒険:彼はアメリカの海岸、大河オロノコ川の河口近くにある無人島で、たった一人で28年間生き延びた;難破によって岸に打ち上げられ、乗組員は彼を除いて全員命を落とした。そして、最終的には海賊によって驚くべき方法で救出された』らしいです。

でもそれって本当なんでしょうか?

べつに私は海外文学の専門家でもなんでもないので、本当に素人の素朴な疑問なんですが。

たとえばWikipediaにアップロードされている『ロビンソン・クルーソー』の初版の扉ページを引用してみましょう。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1e/Robinson_Crusoe_1719_1st_edition.jpg
これ、パッと見でどこまでがタイトルだと思いますか。せいぜい「THE LIFE AND STRANGE SURPRIZING ADVENTURES OF ROBINSON CRUSOE, OF YORK,. MARINER」くらいまでじゃないですか。コロンで区切られた「Who lived...」以降は著者の経歴かあらすじのように思えます。

自分にはこれが「ひとつの長いタイトル」ではなく「タイトルと著者情報とあらすじが未分化のまま繋がっている」ように見えるんですよね。

当然ながら、読者がこの作品を呼ぶときに、この文言のすべてが唱えられていたわけではないでしょう。作者のダニエル・デフォーでさえ、『ロビンソン・クルーソー』の第3巻のなかで『the Adventures of Robinson Crusoe』と呼称しています。

あるいは18世紀の書店や個人の蔵書の「カタログ」みたいなものをGoogle Booksで閲覧することができます。おそらく現在のように統一された書誌情報の登録ルールみたいなものは無く、各々が勝手にまとめていたものでしょうが、多くは「ROBINSON CRUSOE」、長くとも「THE LIFE AND STRANGE SURPRIZING ADVENTURES OF ROBINSON CRUSOE OF YORK MARINER」までの題名で記載していたようです。

では、この『ヨークの船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と奇妙で驚くべき冒険:彼はアメリカの海岸、大河オロノコ川の河口近くにある無人島で、たった一人で28年間生き延びた;難破によって岸に打ち上げられ、乗組員は彼を除いて全員命を落とした。そして、最終的には海賊によって驚くべき方法で救出された』という文章全体が「正式なタイトル」として扱われていた状況は、本当に存在していたのでしょうか?

同時期の作品である『ガリバー旅行記』も、しばしば長文タイトルの例として言及されます。Wikipediaによると「正式なタイトル」は『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇』だそうです。同じく扉ページをWikipediaから引用します。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/Gullivers_travels.jpg/1920px-Gullivers_travels.jpg

これは『ロビンソン・クルーソー』よりもわかりやすく、「TRAVELS INTO SEVERAL REMOTE NATIONS OF THE WORLD(世界の諸僻地への旅行記)」までがタイトルじゃないですか? 「In FOUR PARTS(四篇)」や「By LEMUEL GULLIVER(レミュエル・ガリヴァーによる)」以下は補助情報ですよね。それぞれを分けるように区切り線も引かれています。これを「全体がタイトルである」と判断するのはどういう理由からなのでしょうか?

『ロビンソン・クルーソー(1719年)』『ガリバー(1726年)』以前の小説である『ドン・キホーテ(1605年)』の扉ページも引用します。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d8/El_ingenioso_hidalgo_don_Quijote_de_la_Mancha.jpg

これはWikipediaによると『El ingenioso hidalgo Don Quixote de la Mancha(機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ)』までがタイトルである、とされています。つまり「Compuesto por Miguel de Cervantes Saauedra.(ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ作)」はタイトルに含まれていません。「DIRIGIDO AL DUQUE DE BEJAR...」以降は献辞のようですが、そちらもタイトルには含まれていません。

「扉ページに書いてある文字はすべてタイトルなんだよ!」と言わんばかりの『ロビンソン・クルーソー』や『ガリバー』と比べると、『ドン・キホーテ』は常識的な範囲でタイトルを決定しているように思えるのですが、この違いはいったいどこに由来するのでしょうか?

要するに、それが「正式なタイトル」であるというのはWikipediaが勝手に言っているだけではないか、この時代に「正式なタイトル」なんて概念はなかったのではないか、という疑問があるのです。

繰り返しますが、私は海外文学の専門家でもなんでもなく、これは本当に素人の素朴な疑問にすぎません。何か歴史的経緯があって学術的にはそれを「正式なタイトル」としているのかもしれませんし、別のところでダニエル・デフォーやジョナサン・スウィフトが「あれが正式なタイトルです」と表明しているのかもしれません。悪しからず。

『千歳くんはラムネ瓶のなか』が『このライトノベルがすごい!2021』で1位となった背景を考える

アニメ『千歳くんはラムネ瓶のなか』(以下『チラムネ』)がなかなかの苦境に陥っているようで、ラノベクラスタでも敵味方に分かれての泥仕合が盛り上がっております。

私は『チラムネ』を読んでいないし、アニメを観てもいないので、作品内容については触れません。ただ、Twitterなどで「これがこのラノ殿堂入り?」「なんでこのラノで1位を獲れたの?」みたいな声を見かけたので、そのあたりについて解説できればと思います。

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『このラノ2021』において、『チラムネ』はWebランキングで6位、協力者ランキングで1位となり、総合ランキングで1位を獲得しました。

簡単に説明すると、「Webランキング」というのは誰でも回答できるWebアンケートに基づくもので「すでに人気がある作品」が上位に来ることが多いです。一方の「協力者ランキング」は選ばれたラノベマニアからのアンケートに基づくもので「まだ人気のない作品」が上位に来ることが多いです。そして「Webランキング」と「協力者ランキング」をごにょごにょしつつ合算したのが「総合ランキング」になります。

ということを考えれば、未アニメ化作品がWebランキング6位というのもわりとすごいのですが、しかし総合1位の原動力となったのが協力者票だということは間違いありません。

この点について「協力者のゴリ押し」「組織票」などと批判されることもあります。しかし、『このラノ2021』における協力者81人のうち、『チラムネ」を1位に選んだのは7人しかいませんでした。5位以内に投票したのも15人だけです。

協力者の投票先は意外とバラバラで、だからこそ何人かの投票先が重なるだけでもランキング上位に入ってしまうのです。

(そもそも協力者だの何だの変な集計をしてること自体に問題があるんじゃねえの、ということについては以下の記事で語っているので今回は割愛します)
kazenotori.hatenablog.com

さらに重要なポイントとして、『このラノ2021』では新規の「協力者」が参加したということが挙げられます。

実に9年ぶりに協力者の募集が行われ、若い「協力者」がどっと入ってきました。つまり『このラノ2021』から投票傾向が大きく変わったわけです。

実際に、『チラムネ』を1位に選んだ協力者7人のうち、少なくとも6人が「その年に初めて協力者になった人」でしたので、その傾向の変化は明らかだと思います。

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なお『このラノ2022』では『チラムネ』が連覇したわけですが、Webランキングで2位、協力者ランキングで4位でしたので、支持率が逆転していることになります。

協力者は96人に増えたにもかかわらず、『チラムネ』を1位にしたのは5人、5位以内に投票したのも12人、と漸減しています。これはもちろん協力者が飽きやすいとかではなく、先述のとおり協力者は「まだ人気のない作品」に投票することが多く、いちど投票した作品を避けがちだからでしょう。

逆に言えば、『このラノ2021』で協力者が『チラムネ』をプッシュした結果、『このラノ2022』ではWeb投票者にしっかり評価された、という流れが見て取れます。

そもそも『チラムネ』は若年層を中心に支持されている作品です。『このラノ2021』の「年代別ランキング」を見ると、『チラムネ』は10代で4位、20代で5位ですが、30代・40代では10位以内にも入っていません。

もっと言えば「青春ラブコメ」というジャンル自体が若者受けするもので、同じガガガ文庫の『俺ガイル』や『友崎くん』を支持していた読者が、その系譜に連なる『チラムネ』を支持するのは自然なことでしょう。

そうした流れが「新規募集で若い協力者が増えた」タイミングと重なって顕在化した、というのが『チラムネ』の『このラノ』1位だったのではないでしょうか。

このように『このラノ』は細かく投票データを開示してくれており、たとえ「総合ランキング」が参考にならないと思っても、「Webランキング」「協力者ランキング」「新作ランキング」「文庫ランキング」「単行本ランキング」「年代別ランキング」あるいは「新作ガイド」「ジャンル別ガイド」などを参考にすれば、必ずや素晴らしいライトノベルに出会えるものと思います。

折しも『このライトノベルがすごい!2026』が発売される季節ですね。

今回の『このラノ』は、これまで長らく編集を担当されていたマイストリートの岡田さんが退任し、代わって太田さんが率いる新興のオリミナートが編集を担当しているので、また一味違った誌面になるのではないかと思われます。

みなさん、買いましょう。

2020年代前半の「戦記ラノベ」についてオススメなどを語る

戦記ファンタジーは、ラノベでも常に一定の人気があったジャンルで、これまでに多くの作品が刊行され、いくつかはアニメ化もされてきました。冒険者がダンジョンを探索するような「冒険ファンタジー」とは異なり、国家同士の戦いを君主や指揮官の視点で描いたもの、と定義されるでしょうか。ゲームで言えば「シミュレーションRPG」になるでしょう。

たぶん完全網羅!ライトノベル戦記ファンタジー年表 | ブックオフ公式オンラインストア

ただ、王道的に人気があったというよりは、どこか「裏ローテ」的な扱いだったと思います。

冒険ファンタジーブームが落ち着いた2000年代には、目先を変えるように『ゆらゆらと揺れる海の彼方』『タザリア王国物語』『火の国、風の国物語』『烙印の紋章』などの名作が次々に登場しました。

2010年代には、爆発的な流行を見せていた「なろう系ファンタジー」に対し、「それとは違うファンタジー」を模索して『魔弾の王と戦姫』『天鏡のアルデラミン』『覇剣の皇姫アルティーナ』『グランクレスト戦記』『グラウスタンディア皇国物語』『我が驍勇にふるえよ天地』『天才王子の赤字国家再生術』といった作品が競うように出てきました。

「なろう系」からも、人気作品の間隙を突いて『ウォルテニア戦記』『幼女戦記』『やる気なし英雄譚』などの作品が登場しています。

いずれにしても「主流」にはなれないが「泡沫」として消えるわけでもない、「傍流」としての存在感を維持してきたのが戦記ファンタジーの強さだったと思います。

そして2020年代にもまた戦記ファンタジーの新しい流れが生まれています。その中心にいるのは『オルクセン王国史』でしょう。

オルクセン王国史

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第一次大戦ごろのドイツ帝国をモチーフとして「オークやエルフが存在する世界の架空の歴史」を描いたミリタリマニアらしい作品。コミカライズも人気を博しています。「なろう系」として見れば『幼女戦記』などの系譜と言えるでしょうし、「架空戦記」として見れば『皇国の守護者』『A君(17)の戦争』なども先祖となるでしょうか。

他にも第一次大戦〜第二次大戦ごろを意識した作品がいくつか出ています。

TS衛生兵さんの戦場日記

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一兵卒が主人公なので、あまり「戦記もの」という感じではありませんが、魔法が存在する世界における苛烈な戦場風景が描かれています。主人公は転生者で「前世では天才的なFPSゲーマー」という設定があるのですが、いまのところ、ときどきしか才能が発揮されていません。だいぶスローペースな話なのですが主人公が将来的にどうなっていくのか気になるところですね。

アキツ大戦記

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天狗(エルフ)や鬼(オーガ)が共生する「亜人の国」である日本っぽい国を舞台にした作品。モチーフは日露戦争で、魔法文明をベースに科学も取り入れている東洋と、亜人や魔法を否定して科学を信奉する西洋との対立が描かれています。全体的に架空戦記色が強いですね。主人公は特殊部隊の一員なんですが、戦場から離れたところでエルフの恋人といちゃいちゃしているのがとても良かったです。


もちろん中世〜近世ごろを舞台としたオーソドックスな戦記ファンタジーも多く出てきています。

転生したら皇帝でした

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大貴族たちの傀儡となっている幼帝に転生した主人公が、その立場から脱するための計略を慎重に巡らせていくところを、設定語りも交えてゆっくりじっくり描いていくので、本当にスロースターターもいいところなんですが、皇帝として権力を握って対外戦争に乗り出していく6巻あたりから、個性的な武将も増えてきて俄然面白くなっていきます。6巻かよ。しょうがないんです。でもオススメです。

ルチルクォーツの戴冠 / フリードリヒの戦場

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この二作は同じ作者です。『ルチルクォーツの戴冠』は、貧しい生まれの主人公が急死した王の庶子だったということで即位させられる話。小国が舞台なので中小企業的な内政要素もあるのですが、主人公の軍才はいかにも英雄的です。『フリードリヒの戦場』は、自分は将軍の息子であると偽った主人公が、本当に将軍の養子として迎えられて天才軍師として活躍する話。いきなり王にされて戸惑う『ルチルクォーツ』と、望んで軍人となり上を目指していく『フリードリヒ』、という対比的な面白さがあります。

滅亡国家のやり直し

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祖国の滅亡前にタイムスリップした主人公が、前回の記憶をもとに滅亡を回避しようとする話。庶民出身の主人公が英雄のもとで軍師として成長していく、という筋書きは『フリードリヒ』とタイプが近いですね。戦記ファンタジーとしてはオーソドックスな作りなんですが、「やり直し」要素による未来知識チート的な内政描写もあったりするのが面白いところですね。


さて、なろう系には「内政もの」というジャンルがあります。異世界の貴族などに転生して、前世の現代知識を使って領地を繁栄させていく、というものですね。戦記ファンタジーとは相性がいいというか、戦記ファンタジーにも内政要素はありますし、内政ファンタジーにも戦争描写はありますので、ざっくり言えばほとんど差はないものと言えます。ほんとか?

というわけで内政もの、広く言えば「政治劇」「政争劇」のオススメも挙げてみます。

亡びの国の征服者

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異世界の騎士の息子に転生した主人公、こいつがまた冷静で豪胆、何でもそつなくこなす奴なんですが、その彼が騎士の学校に入学して、現代知識をもとにいろんな商売をやったり、王女さまと仲良くなったり、それで闇深い政争に巻き込まれていったり、異民族の侵攻により滅びかけている祖国を救うために戦いもしたり、という話。内政の要素も、戦記の要素も、深いレベルで絡み合っていて、飛び抜けた完成度を誇る作品です。イチオシです。

汝、暗君を愛せよ

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いま話題の作品ですね。主人公は中小企業の経営に失敗した若社長で、そこからフランス絶対王政時代がモチーフの王様に転生します。国政のあれこれや廷臣たちの人間関係に、中小企業の経営を重ねて描くのが軽妙で、前世の失敗から下手に張り切らない「暗君」として振る舞いながら、難しい時代を乗り切るための決断を下していく主人公の葛藤が面白い作品です。

かくて謀反の冬は去り

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シェイクスピアの『リチャード三世』をモチーフとしつつも、「古代の大和朝廷から急激に近代化した日本のような王国」という個性的な舞台設定が面白い。手足に障害があり、そのために劣等感に苛まれる王弟が、「王の急死」からの後継者争いという荒波を生き残るために、策謀の限りを尽くしていく宮廷劇。権力者たちの大騒ぎはどこか喜劇的でもあり、小気味よく楽しむことができます。


その他、いくつか挙げましょう。

濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記

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一巻は、異世界に転生した主人公が特異なスキルを発現させて一兵卒から英雄になっていくという話なんですが、そこから二巻で物語が土台からひっくり返されるような凄まじい展開になり、四巻なんかはダンジョン攻略をやっているという。巻ごとにジャンルがガラッと変わるので「戦記ファンタジー」とも言い難いんですが、まあ面白いことに変わりはありません。

亜人の末姫皇女はいかにして王座を簒奪したか

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一巻完結で、人間と亜人の戦争で活躍した人たちの半生を、史書の列伝のように綴った連作短編集。いかにも英雄然としたキャラは少なくて、個人的な理由で戦った者が全体の趨勢に影響を及ぼしていたり、小悪党か詐欺師かという連中が戦争を大きくしていったり、そういうクセの強い(でも憎めない)英雄たちの物語が連なって、最後には壮大な歴史となるのが魅力的。これもとても面白かったですね。

貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士

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男女の歴史的・社会的な性別の役割が逆転しているという、いわゆる「貞操逆転」設定のファンタジー。そのなかで転生者である主人公は、この世界では珍しい筋骨隆々の巨漢、無双の強さを誇る男の騎士として、女王や王女たちのセクハラに耐えながら、さまざまな戦いに奔走する。一見するとキワモノ感があるけれど、土台はまっとうな騎士道物語なので、誰でも楽しめるものと思います。

悪役令嬢、宇宙を駆ける

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ファンタジーではないけど、めちゃくちゃ面白かったのでオススメします。親のコネで地球艦隊を率い、異星人との戦争に大敗した無能な悪役令嬢が、若い頃にタイムスリップしてやり直す話。一巻では、学生たちが乗った宇宙戦艦がワープ事故で三百光年先にまで飛ばされ、そこから異星人とのファーストコンタクトをこなしつつ地球圏まで帰還するというストーリーが描かれます。SF戦記としてしっかりしている上に、悪役令嬢もののエッセンス、さらに『十五少年漂流記』的な物語類型も加えて、何重にも旨味を重ねているんですよね。


と、こうして見ると、なろう系ブームを経て、やはり物語の幅がだいぶ広がったな、と思います。時代は中世から近現代まで。場所は東洋でも西洋でも。戦争を描いたもの、政治を描いたもの。それぞれのジャンルで、紹介しきれないほどたくさんの作品が出ている。今回は挙げませんでしたが、戦国時代転生ものなんかも一種の架空戦記なので、本当にいろいろな作品があるんですよね。『オルクセン王国史』のヒットで、この流れがさらに加速していくのか。期待したいですね。

最後にひとつ。ノクターンノベルズに投稿されている『ウルガリア戦記』という作品が非常に面白いです。いまノクターンノベルズの年間ランキングでダントツの1位になっていますね。ノクターンノベルズはR18のWeb小説サイトなので、ウルガリア戦記にもそういうシーンはあるのですが、それとは別に戦記パートが本当に素晴らしい。私は途中まで読んで「これは書籍化するだろ」と思って続きをとっておいたのですが、実際に書籍化が決まったらしいので読むのが楽しみです。今冬発売予定らしいです。


こちらのブログの記事ではさらに多くの作品が紹介されています。ご一読ください。
yocchi.hatenablog.com

ファンタジーにおける「魔王と勇者」について

古典における「魔王と勇者」

仏教用語としての「魔王」は第六天魔王・波旬のことを指しており、この波旬というのはゲーム『真・女神転生』シリーズにインパクトのある姿で登場する「マーラ」という名でも有名である。釈迦の修行を邪魔するためにエロい美女を送り込んだとかいう「煩悩」の象徴みたいなヤツである。織田信長が「第六天魔王」を名乗ったエピソードも知られている。

14世紀に成立したとされる『太平記』には、

上座の金の鵄こそ崇徳院であられる。その側の大男は源為義の八男為朝。その左に座るのは、代々の帝王、淳仁天皇・井上皇后・後鳥羽院・後醍醐院で、それぞれ位を逐われて悪魔王の首領となられた、高貴な賢帝たちである。その次に座る、玄肪・真済・寛朝・慈慧・頼豪・仁海・尊雲などの高僧たちも、同じく大魔王となってここに集まり、天下を乱すための評議をしている。

太平記/巻第二十七 - Wikisource

というようなくだりがあり、すでに仏教における「魔王」のイメージから離れて「なんか怨霊のすごいバージョン」くらいの感じで「悪魔王」「大魔王」といった語が使われているように思われる。

16世紀に中国で成立した『西遊記』には、「混世魔王」や「牛魔王」などの妖怪が登場するが、これらも中国の民間信仰における「妖魔の王」のような意味であって、仏教的な「魔王」そのものではない。なお『西遊記』は江戸時代に日本に伝来している。

ここまでは、語としてはあくまで仏教の「魔王」がベースにありつつ、民間伝承のなかでイメージが広がっていったものなのだろうが、明治以降になると、世界各国の神話や民話などが流入し、そこに「勇者」や「魔王」の訳語が当てはめられるようになっていく。

たとえば明治初期に出版された『百科全書』では、キリスト教のサタンを「魔王サタン」と訳している。同書では他に、インド神話の女神ジュルガ(ドゥルガー)の名の由来を述べるくだりでアスラ族のジュルグを「大魔王」と称したり、同じくインド神話のカンサ王や、妖精王オベロンを「魔王」としたり、あるいはインド神話の英雄や、北欧神話のエインヘリヤルを「勇者」と表現してもいる。

この頃においては、「勇者」は単に「勇気のある者」の意味だから、そもそも「魔王」よりも遥かに広範に使われる言葉ではありつつも、ファンタジー的な文脈に限定すれば、やはり神話や伝承上の英雄を「勇者」と呼ぶ例が多かったと思われる。ただし、それは「勇士」などとコンパチブルで、「勇者」という語に特殊な含意があるわけではなかった。そして、もちろん「魔王」と「勇者」が対として扱われているわけでもなく、「海外の悪魔や邪神が魔王と呼ばれることがある」「神話の英雄や豪傑が勇者と呼ばれることがある」といった事例が個別にあるだけだったろう。

ちなみに、明治大正の頃にも、権勢を振るう者を比喩的に「魔王」と呼んだりする例があったことは申し添えておく。

追記:シューベルトの『魔王』については、その元となったゲーテの詩が明治32年の『独逸詩文詳解』にて「魔王」と訳されているのが、おそらく初訳である。

Erlkönigは元来Elbenkönigと云ふべきである、Elbeは独逸の鬼神譚に拠れば、人間を嘲弄したり、侮慢したりする魔物である。(中略)ErlkönigはElbeの王の義にて仮りに魔王と訳し置く。

独逸詩文詳解 二巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

ソ連映画の「魔王と勇者」

戦後、「魔王」「勇者」といった用語は、神話や伝承を踏まえたヒロイック・ファンタジーに導入されていく。

1948年に日本で公開されたソ連映画『不死身の魔王』は、ロシアの「不死身のコシチェイ」の伝承を元にしており、悪の魔術師・コシチェイに婚約者をさらわれた主人公ニキータが旅に出るというあらすじ。

当時、ニキータが「勇者」と呼ばれていたのかはわからないが、1972年の『キネマ旬報』では、

古いロシアのおとぎ話にもとづく少年向き特撮映画。不死身の魔王をヒトラーになぞらえている。婚約者マリア(ゲー・グリゴリーエワ)を魔王にさらわれた勇者ニキータ(エス・ストリャーロフ)は荒野をさすらい、吹雪や炎熱と闘いながら魔王の城にたどりつき、さまざまな魔法をのりこえてマリアをとりもどす。

キネマ旬報 - Google ブックス

などと紹介されている。

1959年に日本で公開された映画『豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服』は、『不死身の魔王』と同じ監督が手掛けたソ連映画である。ロシアの神話的英雄イリヤ・ムーロメツを主人公とした映画で、あらすじによれば、恋人をさらわれたイリヤが、竜を操る蛮族の王・カリンと対決する話だという。本作に登場する三つ首の竜がゴジラシリーズのキングギドラに影響を与えただとか、手塚治虫が本作のファンだったとかいう話が残っている。

やや話は逸れるが、魔術師であるコシチェイは「魔王」の「魔」の側面が強く、蛮族の王であるカリンは「魔王」の「王」の側面が強いように思われる。これ以降の魔王たちについても「すごい魔法使いだから魔王」のパターンと「邪悪な王だから魔王」のパターンに大別できるような気はする。

閑話休題、少なくとも50年代の時点で、こうした典型的なヒロイック・ファンタジーのラスボスを表すのに「魔王」というワードがチョイスされていたことは注目に値する。

アニメや特撮の「魔王と勇者」

60年代から70年代にかけて、アニメや特撮番組が増加するにつれ、「魔王」「勇者」は急激に増えていった。

1967年から放送されたアニメ『リボンの騎士』には「魔王メフィスト」が登場する。原作の漫画では初登場時に一度だけ「大魔王」と呼ばれるものの、それ以外では単に「悪魔」と呼ばれている。明確に「魔王」を名乗るようになったのはアニメ版からと言えるだろう。

1968年に日本で放送されたアメリカのアニメ『大魔王シャザーン』はアラビアンナイトがモチーフで、この「大魔王」というのは「ランプの魔人」のたぐいである。

1969年から放送されたアニメ『ハクション大魔王』もアラビアンナイトがモチーフだが、『シャザーン』にインスパイアされたのかはわからない。

1969年に公開されたアニメ映画『長靴をはいた猫』には「魔王ルシファ」が登場する。

1970年から放送されたアメリカのアニメ『チキチキマシン猛レース』の主役が「ブラック魔王」である。日本語版の名前をつけるときに、悪役だからということで「魔王」にしたらしい。

1972年から放送された特撮番組『快傑ライオン丸』には、ラスボスとしてインドで妖術を習得したという「大魔王ゴースン」が登場する。

1972年から漫画とアニメが開始した『デビルマン』には勇者アモンと魔王ゼノンが登場する。ただしアモンはゼノンの配下である。永井豪の前作『魔王ダンテ』と同じく、キリスト教の悪魔観がモチーフとなっている。

1972年から放送された特撮ヒーロー番組『サンダーマスク』では、主人公サンダーマスクは「宇宙の勇者」と呼ばれており、その敵は「宇宙の魔王デカンダ」および「大魔王ベムキング」である。神話とは無関係に「魔王VS勇者」の構図が設定されているのはこれが初ではなかろうか。

1974年から放送された『チャージマン研!』は近年になって謎の人気が出たアニメだが、敵であるジュラル星人の王が「魔王」である。

1975年から放送されたアニメ『勇者ライディーン』では、タイトルどおり主人公が「勇者」と呼ばれる。ラスボスは妖魔帝国の帝王・バラオだが、これは放送当時から「魔王バラオ」と表記されることもあったようだ。

1975年から連載された漫画『ザ・ウルトラマン』には宇宙大魔王とも言われる「ジャッカル大魔王」が登場する。

日本では1979年に公開されたアニメ映画『指輪物語』には、かのサウロンが「大魔王ソロン」として登場している。なお原作小説は日本語版が1972年から出版されたが、大部分で「冥王サウロン」とされつつ、一部で「魔王サウロン」という表記もされている。

1980年の雑誌『新刊展望』に掲載された手塚治虫と山本和夫(漫画サンデー編集長)の対談では以下のようなことが語られている。

手塚 それから今、アニメなんかでは、SFのジャンルで、勇者物というものが流行っているんです。
山本 『円卓の騎士』みたいなものですか。
手塚 いや、そうじゃなく、『指輪物語』みたいなものです。ファンタジーですね。ファンタジーだけれども、そこに恋あり、剣あり、悪魔あり、魔法あり、というような、どのジャンルにも入らないものでしょうね。そういうものが今、若い連中の間で非常に受けているものだから、当然、こういった幻想漫画集みたいなものができてくる。やはりこれは時代の要求でしょうね。

新刊展望 24(12)(418) - 国立国会図書館デジタルコレクション

「勇者物」が具体的にどの作品を指しているのかは判然としないが、手塚にそういったジャンル意識があり、そしてジャンル名として「勇者」というワードがチョイスされていた、ということは興味深い。

実際、この時期になると「勇者」の語により馴染みができたのか、他の「勇士」などの語の採用は減少しているように思える。

コンピュータゲームの「魔王と勇者」

80年代に入ってコンピュータゲームの時代が到来する。マイルストーン的な存在である『ドラゴンクエスト』までの「魔王」もしくは「勇者」が登場するゲームを列挙する。

1983年5月発売の『聖なる剣』のラスボスは「魔王」であり、主人公は「勇者」と呼ばれる。

1984年3月発売の『デーモンズリング』のラスボスは「魔王サローン」である。

1984年8月発売の『ザ・クエスト』には「勇者ゴーン」が登場する。ラスボスはドラゴン。

1984年12月発売の『ハイドライド』の主人公ジムと、ラスボスの悪魔バラリスについては、当時の雑誌などでは「勇者ジム」「魔王バラリス」の表記もあったようだ。

1985年2月発売の『ファンタジアン』のラスボスは「魔王ビルアデス」である。

1985年4月発売の『ザ・キャッスル』のラスボスは「魔王メフィスト」である(が設定だけでゲーム内には登場しないらしい)。

1985年6月発売の『アークスロード』は、アークスという島に住み着いた「魔王」を倒すというストーリーで、主人公は「勇者」と呼ばれる。

1985年9月発売の『スーパーマリオブラザーズ』には「大魔王クッパ」が登場する。

1985年12月発売の『クルセーダー』の主人公は「勇者ザーバック」、ラスボスは「魔王デッドロック」である。

1986年2月発売の『ゼルダの伝説』には「大魔王ガノン」が登場する。そしておそらく同年に発売されたボードゲーム(パーティジョイ)のパッケージには「ハイラルの勇者はキミだ」というフレーズが書かれている。

そして1986年5月発売の『ドラゴンクエスト』の登場となる。

伝説の勇者ロトが、闇の支配者であった魔王を倒し、神から授かった光の玉で魔物たちを封じ込めた

https://www.nintendo.co.jp/clvj/manuals/pdf/CLV-P-HBBBJ.pdf

この時点でも、ほとんどの作品の「勇者」はあくまで一般的な「勇気ある者」の意味であって、「特定の人物に与えられた特別な称号」というわけではなさそうだが、「魔王やドラゴンに立ち向かう戦士によく付けられる肩書き」の立ち位置にはなっていると思われる。

さらに以降のドラクエブームを通して、たとえば1989年連載開始の漫画『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の時点で「勇者」が特別な称号として描かれているように、徐々に「勇者」という称号が特別な意味合いを帯びていったのだろう。