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WINDBIRD

ライトノベルネタブログ

萌え2.0

を、考えてみようと思ったけど、もう既に「萌え2.0」くらいは進んでるんじゃないの?とも思うので、考えを簡単にまとめてみる。

ver. 名称 解説
萌え1.0 キャラ萌え キャラ(主として美少女キャラ)に萌える。 長門有希萌え〜」
  キャラ萌え2.0 キャラの定義が拡大される。美少女キャラ以外も萌え対象として捉えられる。 ハートマン軍曹萌え〜」
  キャラ萌え3.0 無機物も萌え対象として捉えられる。 APFSDS萌え〜」
萌え2.0 属性萌え キャラに付与された属性に萌える。 素直クール萌え〜」


「例」がものすごい取りとめなくって、逆に分かりづらいかもしれません。




さて。
では、いよいよ次世代の「萌え」、「萌え3.0」を考えてみよう。


「萌え1.0」→「萌え2.0」と進むにつれて、「キャラ」の存在感が薄れていくのがお分かりだろうか。「萌え1.0」、そして「キャラ萌え」の系譜は、ひたすら萌え対象である「キャラ」の定義拡大を図るのに対し、「萌え2.0」の萌え対象は「キャラ」から離れてしまっている。つまり、萌え対象が「キャラ」から乖離していくのが「萌え」の進化の方向性なのではないだろうか。
よって、そこから導き出される「萌え3.0」の姿とは――

ver. 名称 解説
萌え3.0 概念萌え 概念に萌える


これではないかと思う。
例えば、「ツンデレ」は「萌え2.0」に分類されるが、最近では「ツンデレキャラ」よりも「ツンデレとした様子」に萌えている風潮が散見される。VIP系のスレなどでツンデレ風の会話文を並べて喜んでいるのがそれだ。そこに「キャラ」は存在していない。
この風潮は、「萌え3.0」、その萌芽と言えるのではないか。いずれは「ツンデレ」という概念そのものに萌えるようになるだろう。それこそ「概念萌え」、「萌え3.0」である。


いずれ、「萌え3.0」の人間は「萌え1.0」の人間を「キャラに魂を縛られたオールドタイプ」と蔑み、「萌え1.0」の人間は「萌え3.0」の人間を「概念だけで悦に入る頭でっかち」と嗤うようになるのかもしれない。あたかも宗教戦争か哲学論争かのように。




さらにさらに、「萌え4.0」を考えてみる。
これはおそらく「萌え」の極致、「萌え」の最終形態。
すなわち、
「ただ、『萌え』がある」
という境地である。
そこには、「萌え対象」すら存在しない。
「萌え」そのものが剥き出しで存在しているのだ。
その境地に至ってこそ、人は「悟り」を開いたと言えるのではないだろうか。