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なぜ「ラノベのしわざ」にされるのか?

ちょうどタイミングが良かったので話のダシにさせていただきますけれども、リンク先で言われている「学園祭」だとか「無気力主人公」だとかって、わざわざラノベに限定して語ることじゃないですよね。ラノベでだけ無気力主人公が多いわけでもないし、ラノベが無気力主人公を流行らせたわけでもない。

「こういう話題のときにどうしてラノベを引き合いに出すのか?」ということがずっと気になっているんですよ。

たとえば突拍子もないニュースが流れると「まるでラノベみたいな話だ」と言われる。なにかの商品名が長いと「ラノベのタイトルかよ」と言われる。ある作家さんが「それだけラノベが普及しているということで喜ばしい」とおっしゃられていましたけど、本当にそうでしょうか。

たとえば「おとぎ話のようだ」とか「お芝居のようだ」とか、時を下れば「小説のようだ」「映画のようだ」「漫画のようだ」「テレビドラマのようだ」「アニメのようだ」といった定型句は、確かに発言者にとって最も身近で有名なものを、例として引いているのであろうと思います。

一方で、ライトノベルにそれほどの影響力があるでしょうか。明らかにアニメや漫画の方が普及していて読者も多いですよね。どうして知名度で遥かに劣るラノベが持ち出されるのか不思議なのです。「ラノベでありそうな話だなー」と笑っている彼ら自身がラノベ読者であるようにも見えません。

また、各人が思い描く「ラノベらしいラノベ」像というのにもだいぶ揺らぎがあって、「台詞ばかりで文字数が少ない」という人もいれば「地の文がくどくて長ったらしい」という人もいるし、「厨二病満載の異能バトル」という人も、「妹が登場するハーレムラブコメ」という人も、「謎部活の日常系」という人も、「異世界召喚ファンタジー」という人もいて、それぞれが「最近のラノベはこういうのばかり」と主張している。

しかし、やはりそれらの要素も、ラノベ発祥のものではないし、ラノベだけで多く見られるということもないわけです。というかラノベを特徴づけるような要素なんてあるのでしょうか。そんなものがあったらとっくにラノベ定義論に決着がついているのではないでしょうか。

というわけで。
いったいどういう気持ちで「ラノベみたいだ」と言っているのか。
その時にどういうラノベを想像して言っているのか。
是非とも皆さんのご意見を聞かせて欲しいと思うのです。

過去の議論:「ラノベでありがちなこと」みたいな話をしているときの「ラノベ」のイメージって? - Togetterまとめ