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WINDBIRD

ライトノベルネタブログ

ぼくのわたしのライトノベル遍歴

ラノベ遍歴を語るのが少し流行っているみたいなので自分のも書いてみることにした。


最初に出会ったライトノベルは『お嬢さまとお呼び!』だったと思う。縦ロールが自慢の高飛車なお嬢様が騒動を巻き起こす学園コメディである。新装版が出ているが、もともとの刊行時期は90年代の前半。

お嬢さまとお呼び!

お嬢さまとお呼び!


子供のころの私は、自分が欲しい漫画をなかなか買ってもらえなかったので(禁止されていたというほど厳しいものではなかったが)、親から買い与えられた児童文学・歴史小説と、姉が持っていた少女向け小説・漫画ばかりを読んでいたのだ。

流星香の『プラパ・ゼータ』『電影戦線』『天竺漫遊記』。瀬川貴次の『聖霊狩り』『闇に歌えば』。真堂樹の『四龍島』シリーズ。橘香いくのの『有閑探偵コラリーとフェリックスの冒険』。そして小野不由美の『十二国記』。このあたりが小学生から中学生にかけてよく読んでいたライトノベルか。


そうだ、ガンダムWのノベライズを買ってもらったこともあったな。あれが地味に初めてのスニーカー文庫だったはずだ。


小学校の図書室や公共図書館が行動範囲に入るようになってからは、漫画では手塚治虫ブラックジャックブッダ横山光輝史記三国志は通過せず)などの図書館によくある作品を、小説では原ゆたかやズッコケなどの定番の児童書と、あとはホームズをよく読んでいた。

ファンタジーについては、幼い頃に好きだったのは圧倒的に西遊記だった。いろんな出版社のバージョンを買い揃えていて、小学校の入学祝いが福音館版のゴツいやつだったことを覚えている。派生して水滸伝封神演義も。

西洋ファンタジーではオズシリーズが多かったか。図書館では、棚の端っこにあるようなマイナーな海外ファンタジーをいくつか読んでいて、その印象が強い。ハリポタは中学生になってからなのでだいぶ後だ。

ミステリは、先述したホームズ以外には、マガーク探偵団とかの児童書くらいで、ぜんぜん履修していなかった。ホームズの次のステップって一般的には何なんだろうな。

SFはもっと縁遠くて、父が持っていた小松左京の短編集とか、アシモフの科学エッセイとか、そのくらいしか読んでいなかった。ああ、『時をかける少女』は読んだ記憶があるな。SFのファーストステップって難しいよね。


中学に上がった頃には、ときどき漫画を買うくらいにはなっていた(るろ剣世代)のだが、ライトノベルを自分で買ったのは、確か『東京S黄尾探偵団』が初めてだったと思う。

たまたま姉が借りてきていた雑誌コバルトに、S黄尾の第一回が掲載されていて、それをいたく気に入ったからだった。姉からの少女向けラノベの流れと、図書館でのホームズの流れが交差した、我が人生の上で画期的な出来事だったと言えよう。

それぞれに陰のある社会のはみ出し者たちが通信制高校を舞台に破天荒な探偵業をやりはじめるという話で、もう思春期まっさかりの時期に多大なる影響を受けたよね…少なくとも自分が通信制高校にやたらロマンを抱いているのは確実にこの作品が原因だ。


あとは、講談社文庫版の『創竜伝』が図書室に置いてあって、それを気に入っていた頃に、同作者の『銀河英雄伝説』の新装版が徳間デュアル文庫から出るということで、司書さんに頼んで入れてもらった記憶があるから、それもほとんど同時期のはずだ。このあたりの記憶はだいぶ錯綜しているな。


で、いま刊行時期を調べてみて、おそらく同時期かその少し前と思われるのが『魔術士オーフェン』で、これもまた姉が持っていて、シリーズの最初のほうだけしか読んではいないものの、しばらくして書店に『我が夢に沈め楽園』が並んでいたのを見た記憶があるので、そのくらいの年代なのだろう。だから私は『スレイヤーズ』はノータッチなんだけど、『オーフェン』には軽く触れていたのだ。


その次が『フルメタル・パニック!』で、これは何がきっかけだったかな…買いはじめたのが『揺れるイントゥ・ザ・ブルー』の頃だったので、2000年くらいだと思うけど、そこからロボットものつながりで『ランブルフィッシュ』も買いはじめたり、『オーフェン』から『エンジェル・ハウリング』を買いはじめたりしていた。


実のところ、この頃までは「ライトノベル」というジャンルを意識することはまったくなくて、「書店に並んでいるかっこいい表紙の小説」くらいの認識しかなかった。さんざんコバルトや富士見などに触れていたにもかかわらず、それらを個々の作品という「点」でしか認識しておらず、全体を見渡しての体系的な理解というものが、不思議なほど頭の中から抜け落ちていたのだ。

しかし。いまも忘れない2003年の夏休み。私の脳裏にふと稲妻が走ったのだ。

「そういえばオーフェンフルメタのような小説は他にもたくさんあるのだろうか」と。

2003年と言えばADSLによる常時接続が普及した頃で、私もインターネットに、特に2chに入り浸りだった。それまでは専ら漫画系の板を見ていたのだが、同じように「富士見みたいな小説」の板もあるはずだと探していったところに、「ライトノベル板」があった。それが、私と「ライトノベル」との記念すべき出会いだった。

いくつかのスレを見て回っているうちに、どうやら最近は「電撃文庫」の人気が高いらしい、ということが分かってきた。聞いたことのない名前だった。いつも行っている小さな書店にはほとんど置いていなかったはずだ。

未知なる秘境を探索する冒険者モードになった私は、自分にしては珍しく行動力を発揮して、これまでは車に乗せられてしか行ったことのなかった、やや遠くにある書店まで自転車で行くことにした。

まずは三冊だけ買ってみようと思った。それも似たようなものではダメだ。傾向を知るためには異なる種類の作品が望ましい。だから「長く続いているシリーズの第一巻」「その年にデビューした新人の作品」「一冊完結の作品」をそれぞれ購入しようと考えた。

多少の事前準備と、書店での入念な吟味ののち、私はついに三作品を選びだした。

それが『悪魔のミカタ』『バッカーノ!』『ブラックナイトと薔薇の棘』だった。

悪魔のミカタ―魔法カメラ (電撃文庫)

悪魔のミカタ―魔法カメラ (電撃文庫)

ブラックナイトと薔薇の棘 (電撃文庫)

ブラックナイトと薔薇の棘 (電撃文庫)


私が「ライトノベルを買った」のは、つまり「確固たる目的意識を持ってライトノベルを選んで買った」のはこれが初めてであり、そういうわけで「初めて買ったライトノベルは?」と訊かれれば、何より先にこの三冊が思い出されるのである。

完。


としておきたいところだが、いちおうその続きを書いておく。

高校の図書館には、幸いなことにライトノベルがかなり入っていたので、ライトノベルに目覚めた私は、そこで『ブギーポップ』や『灼眼のシャナ』、『キノの旅』、『イリヤの空、UFOの夏』、『スクラップド・プリンセス』などの定番の名作を、片っ端から読み漁った。


図書館で読んだなかでいちばん好きだったのは乙一の『GOTH』かな。『S黄尾』から引き続きで、スカした主人公のダークな話がたまらなく好きだったのだ。そうした青少年の例に漏れずもちろん西尾維新にもドハマりしていた。中二病真っ盛りの頃だ。

GOTH―リストカット事件

GOTH―リストカット事件

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)


ラノベの感想ブログを書きはじめたのは2004年3月である。その頃にはかなりのペースでラノベを買っていて、そうしてインプットした情報をどこかに発散したかったのだろう。2chラノベ板によく書き込んでいたのもこの前後の時期だ。

ふと思いついたので2004年の個人的ベスト10を引っ張り出してきてみた。長く続けたブログには多大な黒歴史とともに少々の有用な記録が残っているものである。

一位 涼宮ハルヒの消失谷川流
二位 ROOM NO.1301#3:新井輝
三位 ALL YOU NEED IS KILL桜坂洋
四位 フルメタル・パニック! つづくオン・マイ・オウン:賀東招二
五位 零崎双識の人間試験:西尾維新
六位 ディバイデッド・フロントII:高瀬彼方
七位 砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない:桜庭一樹
八位 ヴぁんぷ!:成田良悟
九位 空の境界奈須きのこ
十位 とある魔術の禁書目録鎌池和馬

こういう時代であり、こういう嗜好であった。


2004年と言えば、ライトノベル史的には「ラノベ解説本ブーム」の年である。スレイヤーズ以降、世間への露出を減らしていたライトノベルが、しばしの雌伏のときを経て再び立ち上がろうとしていた頃である。

ライトノベル完全読本 (日経BPムック)

ライトノベル完全読本 (日経BPムック)


といった歴史意識は、ニワカの私にはもちろん無かったのだが、エロゲ論壇とかが盛り上がって(終わりかけて)いた頃だったし、いわゆるWeb2.0のブログブームも重なっていたし、大学でヒマだったし、とにかく色んな状況が変わりはじめている気がして、私も執筆意欲が旺盛な時期であった。若気の至りも多かった。

そんなときにやってきたドデカいムーブメント、それが『涼宮ハルヒの憂鬱』、そのアニメ化であった。2006年のことである。

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

ハルヒの第一巻は2003年発売で、私のラノベ覚醒時期と重なっている。当時のネット上では毀誉褒貶の激しい作品だったが、先述のベスト10を見れば分かるように、個人的には「谷川信者」を名乗るくらいに好きな作品で、だからアニメの放送時には、自分のブログでハルヒ関連の記事を書きまくったのだった。私の中で燃え盛っていた執筆意欲はこのときに使い果たしたといっても過言ではなかった。


こうして振り返ってみると、やはり今の私を形作ったのは2000年代前期から中期にかけての作品であるなあ、と思う。富士見世代か電撃世代かといえば自己認識では後者だ。

とはいえ、それから十年以上を経てもなお、私は変わらずラノベを読み続けている。ライトノベルの面白さも変わっていない。感想はTwitterのほうに書くようになった。ブログは不定期更新です。今後ともよろしくお願いいたします。

川上量生発言についての記事のブックマークコメントに対する反論

それでは必死こいて反論していきたいと思います。


id:ko2inte8cu 売れるから売っとるだけで、わいは評価しとらん、ちゅうわけや。

評価していないとは川上量生は言っていないですね。

id:dalmacija この噛み合わない議論を糧にしてる界隈って、雑かどうかじゃなくて、事実か虚偽かは語れないもんなのかな。反証も噛み合わないもの選んでるし。小説自体からの異なるメタレベルの「語り」をどう識別してるんだろう

川上量生の主張は「努力できる立派な人物が主人公だと感情移入できないから、ライトノベルの主人公は等身大の人物として描き、いつのまにか能力を身につけさせるなどして努力をさせない、というのが売れるための絶対の方法である」というものです。だから「努力して頂点に立ち、立派な人物として描かれるSAO」「能力を手に入れるのに犠牲を払い、また明らかに等身大の人物ではない魔法科」「等身大の人物として描かれることで嫌われ、かつ困難に対して努力することが受けているReゼロ」を反例として挙げているのですが、どこが噛み合っていないのかご教示いただければ幸いです。

id:munioka303 ああ言われたのを貶されたと思ってるんだな。文脈をその程度にしか読み取れない人らが喜んでる感じがまさにライトなんだよね。浅くてつまんないの多いもの。

先の記事を読んで「貶されたと思っている」と解釈するような、文脈をその程度にしか読み取れない方は、何もコメントしないのがよろしいかと思います。

id:shields-pikes 俺TUEEEは貴種流離譚の亜種だから、超努力派のライバルは、天才肌・血筋・前世・伝説・ニュータイプ云々の運命を背負った異世界主人公に決して勝てない。でも現実世界のトップの人は皆、才能を持ちつつ超努力家だよね

いわゆる俺TUEEEにおいては、むしろ才能にあぐらをかいている貴族たちを、実力でのし上がった主人公が倒す、という展開がよく見られます。

id:oscdis765 チートとかハーレムが頻出単語なのは間違いない なろうの累計ランキングhttp://yomou.syosetu.com/rank/list/type/total_total/

id:Red-Comet 川上氏の話は一部のラノベ愛好者以外の人が思っている、一般的なイメージだと思うけどね。カクヨムでもなろうでも、人気作はオレtueeチートハーレム転生ものばかり。

id:Harnoncourt 雑なコメントで図星突かれてキレる図。転生チート主人公のハーレム物語だらけ。20年前のエヴァ二次創作で非常によく見ました。あれから何も変わっておりません/努力してチートになった姫川亜弓を見習うべき。

チートやハーレムであっても、努力をしていないわけではないし、主人公に自己投影しなければならないわけでもない、ということを書いているのですが、ご理解いただけているでしょうか。チートを持ったうえで堅実に努力することも多いですし、レベル1からはじめて延々とレベルを上げ続けるような作品も人気があります。あるいはチート主人公を教師的な立場において周囲の成長に重点を置くパターンもあります。「チート」「ハーレム」のひとことで説明できるほど単純なものではありません。

id:natu3kan 今の作品と過去の作品の比較や統計が無いので、どっちも印象論でしかない感じがする。キリトくんのゲーム廃人で天性の二刀流スキルと「さすおに」はスポ根の努力と根性に比肩しうるか

スポ根も一時の流行にすぎないわけですし「過去の作品」全てを代表させるのは難しいのでは。

id:kamei_rio タイトルに強い言葉を使ってるけど、これだと "分析としても根拠がない" をそのまま返されてしまうのでは

私もあまり強い言葉は使いたくなかったのですが、タイトルしか理解できない方がいらっしゃったので仕方ないですね。まあ、川上量生こそ「絶対の方法」という非常に強い言葉を使っているので、売れ筋の三作品だけでも充分に論拠となると思うのですが、いかがでしょうか。

id:tpircs 全部がそうである、なんて言ってなくて傾向の話をしてるだけなのになんでこんなに必死に反論してるんだろう。傾向に逆張りした作品作ってもいいし、傾向に乗っかってもいいし、気にすること無いような。

id:chokovi あの発言って、そういう傾向があるって風にしか読めんけどな。歌謡曲と同じ。

id:yamadadadada2 川上さんの十把一絡げな言い方はよくないが、それへの反論が三作品てのもちと少ない気が。全体としてどういう傾向という話であって、個別の論ではないもんね。

id:shiori_lov web発の粗雑乱造ラノベみれば傾向としては間違ってないあれが手っ取り早く人気の出るスタンダードな訳で

はい、私も傾向の話をしております。三作品はあくまで代表例であり、「それ以外の作品でもだいたい努力してますよ」と書いております。というか、売れ筋でさえ川上量生の主張には当てはまらないのに、どうして「売れ筋以外には川上量生の主張どおりの傾向がある」と信じておられるのですか。

id:inazakira 孫悟空は?デクは?ってね。ジャンプの熱血モノ、ラノベの俺TUEEEモノ、なろうの転生モノ、どれも需要と供給。ランキングや発行部数を論拠にラノベの売れ線の傾向を語ればああなると思うが。

実に良い例ですね。孫悟空とデクは「才能型」「努力型」どちらの代表にもなりえます。孫悟空サイヤ人としての生来の能力があるうえで修行をしてさらに強くなっていくキャラですし、デクは幸運にも強力な能力を与えられしかしそれに傲ることなく努力して能力を高めています。ことほどさように才能と努力の描写とは複雑なものであり、川上量生の言うような単純なものではないことが分かりますね。

id:acealpha ここにあげたコンテンツの印象はまさに社長指摘の通りのものだが オタクの知見による裏設定熱く語られてもなあ

裏設定ではなく本編できっちり描写されていることなのでぜひお読みください。acealphaさんのような門外漢と、門外漢であってはならない社長の印象が同じというのが、まずおかしいことだと思います。

id:kotetsu306 雑な語りに対する雑な反論。反例をいくつ挙げても、それ以上に実例を出されたら反論にならないわけで。いい加減な話でも、「事実に反する」として批判するのはけっこう面倒です(ニセ科学批判の経験上)

さいわいなことに未だ実例は出されておりません。

id:mahiru123 努力した結果強くなった設定の主人公と、実際の努力が描かれてる主人公を混同してるな。劣等生なんてそもそも努力してないし。作品例が悪い。

id:uturi 『作中で努力して成長する』という要素についての議論で成長済みのキャラ(SAOと魔法科)を出すのはちょっと違うと思う。川上氏の発言も2chで聞きかじったかのような雑な言い方だけども。

違いますよ、川上量生が言っているのは「努力をするような立派な人物だと感情移入できなくて売れない」なのですから、物語開始時点で成長が済んでいようが(もちろん物語開始後も困難は降りかかりますし主人公はそれを乗り越えていくのですが)「この主人公は努力をする立派な人物だ」という設定だけで充分な反例になります。
それと魔法科はもともと「いつのまにか能力が身についている」「等身大の主人公」という主張に対する反例として挙げたものですし、加えて言えば、作中でも研究を重ねて新技術を生み出したりしているので立派に努力しています。それとも技術者の研究は努力ではないとお考えなのでしょうか。

id:yetch 巨人の星みたいに、努力と苦労だけしか無いような作品が無くなったという話。いまそんなのが売れないのは当たり前だし。

「努力をするとダメ」と「努力だけだとダメ」の違いはお分かりになりますでしょうか。

id:shoot_c_na コミカライズや、アニメ化にまで至らないラノベ全体像としては間違ってないだろう。出版は切るの早いし安いから一割ヒッターでも回せなくはない業界だし。傍流好きにはたまったもんじゃない話だが

「売れるための絶対の方法」の話なのに、売れてない作品の話をしてどうするのですか。というか、売れてない作品を含めていいならますます「反例」が増えますよ。

id:ara40ojisan マンガやアニメの主人公・ヒロインの大多数が美男美女ってことと同義なんじゃないかな。自分と同じ不細工なら感情移入できないし、リアルで美男美女がマンガ読む必要がないのと同じな気がする。

同義でないと思います。

id:colic_ppp ある種の傾向を門外漢が読むかもしれない媒体でひとつの喩えとして伝えるのだからつかみ程度のことで十分だとは思うし、インタビューは今まで話してきたことの総括だったが面白くはあった。MMOのくだりも怒られそ。

門外漢にまったく適切でない解説を広めているから怒っているのですが…

id:sharia 読んでないけど、ラノベ界隈の人は一般的な映画(洋画)や過去の映画(古典ともいう)がどういうことを書いてきたかを知らなすぎるんだよ。でそれを俯瞰したときにラノベの異様性がまざまざと理解できるという話。

あなたは、あなたの好きな映画以外を知らなすぎるのではないでしょうか。

id:Lhankor_Mhy 数年前のガガガ大賞作品、主人公が努力も成長も苦悩もせず敵を圧倒する作品で、選考委員バカじゃねえのか、と思った。でも、続巻も出ているようなので読者もバカならそれはそれで回るか、などと思いなおした。

どの作品だろう…今年のガガガ文庫だと『弱キャラ友崎くん』おすすめです。

弱キャラ友崎くん Lv.1 (ガガガ文庫)

弱キャラ友崎くん Lv.1 (ガガガ文庫)

id:kawango みんな取材されたことないから分からないだろうが、本人のセリフ形式になっている文章は本人の言葉まんまだと思うだろうけど違うから。取材記者が要約したセリフに変えられる。「絶対の法則」とか言い回ししねーし

「発言が変えられる」と仰られましても、読者としてはどこまでが真意でどこまでが編集なのかを判断できませんし、真意が明らかにされるまでの議論は、唯一のソースである新聞記事に依拠せざるを得ません。川上さんご自身の名誉のためにも、ぜひとも真意を明らかにしていただきたいところです。よろしくお願いいたします。

ラノベ業界最大手企業の社長・川上量生氏が垂れ流したラノベに関する偏見・虚偽・流言について

追記:元のタイトルは「ラノベ業界最大手企業の社長・川上量生氏が垂れ流した『雑なラノベ語り』について」でしたが「雑かどうかではなく虚偽かどうかを語れ」と言われましたのでタイトルを変更いたしました。記事内容としてはもとより「川上量生の主張は偏見にもとづく流言でありラノベの主人公が努力をしてはいけないというのは虚偽である」というものです。

――社会がバラバラになってしまった世界とはどのようなものなのでしょうか。なかなか想像はつきにくいですが。
 もうすでに、半分そうなっていますよ。ネットの中でも既に価値観が多様化している。(中略)例えば、ライトノベルの分野で言うと、今は売れるための絶対の方法があるんです。

――軽いタッチで描かれた、若年層向きの小説ですね。
 ライトノベルの主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分を投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。

――恋人や能力を努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人と能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力の過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。
 そうです。今は努力できる立派な人物が主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。

川上量生によるこれらの発言は、トヨタの社長が「今の若者は金を持っているのでウチの若者向けラインナップは高級車ばかりですよ」などと言い出したようなものだと思います。分析としても根拠がない上に、自社がどういう商品を出しているかすら把握していない。

これが余人の言ったことならまあラノベ天狗がちょっと突っついて終わりでしょうが、現在の川上量生ラノベ市場の8割を寡占する出版社グループのトップであるわけで、こんな事実とかけ離れた認識をしていたらダメでしょう、と思うわけです。

ライトノベルの主人公は努力しちゃダメ?

たとえば『ソードアート・オンライン』の主人公は、ゲームのなかで努力して最強までのしあがった人物です。幾度も逆境に追い込まれ、敗北も喫していますが、そのたびに危機を乗り越え、他のプレイヤーたちを救ってきた英雄的な人物です。

たとえば『魔法科高校の劣等生』の主人公は、あまりにも強大な力を持っていますが、それは「いつの間にか」手に入れたものではなく、過去の人体実験でほとんど全ての感情を失った末に与えられたものです。そのため彼は非常に老成した人物として描かれています。

たとえば『Re:ゼロから始まる異世界生活』の主人公は、何度も何度も苦難に直面して絶望し、それでもそこから立ち上がるキャラクターです。良くも悪くも人間くさく、その性格から読者に嫌われることも多いですが、それでも最近放送されたアニメは大成功をおさめたようです。

いずれもWeb小説発で、カドカワ傘下の出版社から発売され、大ヒットしたラノベです。これらの主人公は努力をしていないのでしょうか。読者と同じ等身大の人物なのでしょうか。彼らが好かれて(あるいは嫌われて)いるのは何故なのでしょうか。

面倒なのでこれ以上は挙げませんが、他のラノベや「小説家になろう」作品だって、その登場人物たちは多かれ少なかれ努力を経て成長しています。

何か目に付くところだけを取り上げて「今の読者は決定的に変わってしまった」と言い立ててみせるのは、ワイドショーを眺めて「最近の若者は」と嘆く老人と変わりないと思います。

いちおう書いておきますが、逆に「フィクションの主人公は絶対に努力をせねばならない」とか言い出す人がいたら、私はそちらにも断固反対しますよ。

主人公には自己投影するもの?

川上量生は「読者は主人公に自己投影するものだ」という前提で語っているようです。こういう人はよく見かけますね。最強主人公を見ても「自己投影」、クズ主人公を見ても「自己投影」、学園ものでも「自己投影」、ファンタジーでも「自己投影」、はいはい自己投影自己投影。

「自己投影」や「感情移入」の用法にはブレがあるので、あまり使いたくはない言葉ですが、単に主人公に好感を持ったり、憧れたり、応援したりするのを超えて、「自分と主人公を同一視する」ような読み方に対して使われているように思います。

主人公と自分の境遇がまったく異なると物語を楽しめない、という人は確かにいるでしょう。話題のシン・ゴジラについても「主人公に感情移入できない」と言って批判している人がいましたね。どう考えても主人公に感情移入するような作品ではないのに。

しかしながら、多くの読者は、主人公に自己投影しなくとも作品を楽しんでいます。自分とはまったく異なる天才が主人公でも、自分では味わいたくないような苦痛を主人公が感じていても、構わず面白がることができるのです。

それは「小説家になろう」の作品だって同じです。テンプレの裏をかくアイディアを楽しむ、ゲーム実況を見るように主人公のスーパープレイを楽しむ、主人公によって引き起こされる異世界の変化を楽しむ、作者が作中に盛り込んでくるマニアックな知識を楽しむ……さまざまな楽しみ方があります。決して主人公と自分とを同一視して気持ちよくなるような作品ばかりではありません。

また感情移入するにしても、その移入先が主人公とは限らないもので、ハーレムラブコメなどでさえ、サブヒロインを応援するあまり、「主人公死ね!」などという感想を持つことがままあるわけです。もちろん、ある作品では自己投影するが、ある作品では自己投影しない、ということも普通にあるでしょう。

なんでもかんでも「読者が主人公に感情移入する」というスキームで説明しようとするのは無理があると思います。

昔は「努力」が物語の中心だった?

こういう「昔は○○だったが今は○○でなくなった」みたいな意見には、矛盾するようですけど、「今も○○はたくさんあるよ」と「昔だって○○ばかりじゃないでしょ」という反論が同時に出てきちゃいますよね。

つまり、昔も今も努力型や才能型やそのハイブリッドが多種多様に存在しているわけですよ。すべてを把握して語るのは不可能だし、何を努力と感じるかも人それぞれなわけですが、少なくともそんな一刀両断して語れる話ではないのです。

たとえば、私がいくらSAOや魔法科で描かれる「努力」を挙げたところで、「そんなものは努力と言えない」とか「努力の描き方が悪い」とか「昔の作品の努力はもっとすごかった」とか文句を言われて、あとは水掛け論でしょう。

そんな議論には付き合いたくありませんが、個人的には昔の作品と今の作品でそんなに違いがあるとは思わないです。

過去の発言

川上量生が「小説家になろう」およびライトノベルに対して言及している記事を紹介しておきます。

—— 実質的な多様性が減る、とは?
川上 例えば、「小説家になろう」っていう小説投稿サイトがあるんですけど、そのランキング上位の小説の設定がほとんど一緒になってたりするんですよ。だいたい転生もので、主人公が生まれ変わって、別の人生を歩んで、活躍するっていうストーリーです(笑)。

—— ユーザーの願望が(笑)。
川上 投稿されている小説の中には本来多様性があるはずなんだけど、ランキング上位に来るものは全部似たようなものになる。ニコ動だって、いろいろな作品が投稿されていますが、何かが流行るとそれ一色になりがちです。参加数が多いってことは、逆に実質的な多様性を減らす効果があるんです。

https://cakes.mu/posts/5036

ここで「ユーザーの願望」を勝手に読み取っているのはインタビュアー(cakesを運営している株式会社ピースオブケイク代表取締役加藤貞顕)ですが、川上量生も特に否定はしていません。

川上氏:
 そうだ。ゲームの話題からはちょっと離れますけど,最近の「欲望充足型コンテンツ」――最近の言い方でいうと“なろう系”について,海燕さんはどう思ってるんですか?

海燕氏:
 僕はいわゆる「なろう系」の小説をそこまで読み込んでいるわけではないんですけれど,友人にはめちゃくちゃ読んでいる人が何人もいて,「俺TUEEE」だとか「チート」だとか,さまざまな言われ方をしていますよね。漫画やライトノベルなんかも含めて,努力をしないで勝利する物語が,いまの時代の流行なんだと。

川上氏:
 努力すると感情移入ができないって話はよく聞きますよね。

http://www.4gamer.net/games/236/G023617/20140509083/index_3.html

「欲望充足型コンテンツ」の最近の言い方が「なろう系」だなんて初耳です。何だかこのあたりの聞きかじりの印象が熟成されて先の発言につながったように思われますね。

終わりに

とにかく一介のネット芸人ではなくカドカワ株式会社の社長として、適当な思いつきではなく地に足の着いた発言をしていただきたく、またできるかぎり現状の把握につとめて業界の発展につなげていただきたいと思います。よろしくお願いします。