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なぜ『涼宮ハルヒの消失』は傑作なのか

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060526/1148570661の続きみたいなエントリ。だから、前のエントリを読んでから、このエントリを読んでほしいな。強制はしないけどね。あと、当然ながらネタバレ全開ですよ。


前回のエントリで言いたかったことを一言にすれば「ハルヒを分析するんじゃなくてキョンを分析しようぜ」ということだったのだけども。そういうわけで、『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公・キョンの話。


キョンは何者か。これも一言にできる。「物語に入った読者」だ。


涼宮ハルヒの憂鬱』の冒頭にあるように、キョン=読者の思考というのはこういうものだ。「物語の中に入りたい。しかし、主役にはなるのは怖い」。たとえばそれは、「三国志の英雄たちの中で誰になりたい?」と問われて「諸葛孔明!」と答える心理だ。戦場で戦うのは怖いので、安全なところから戦いを観察していたい……という心理。キョンが考えていたのはまんまこれだ。


涼宮ハルヒ』シリーズが始まった頃から、「実は世界を改変できるのはハルヒじゃなくてキョン」という説が定期的に話題に上る。まあ、さすがにそんなストレートなオチにはならないだろうけども、『涼宮ハルヒ』の構造を考えるとき、この説はあながち間違ってはいないのではないかと思う。非日常を望むキョンの願いを叶えるために谷川流が用意した装置、それが涼宮ハルヒだ。……こういうときに作者を登場させるのは大嫌いなのだけど、それ以外に言い方がないので仕方がない。


しかし前回のエントリを見ていただければわかるように、キョンは全然「軍師」的ポジションには立っていない。むしろ、宇宙人と未来人と超能力者を引き連れて非日常を守る「将軍」となっている。前回のエントリの言葉を使えば、「キョンは観察者を望んでいたはずなのに、いつのまにか干渉者になっている」のである。


では、いつからキョンは干渉者になったのか?


ここで『消失』の話になる。なぜ『消失』は最高傑作と呼ばれるのか。キョンが干渉者になる決意をした巻だからである。つまり『涼宮ハルヒの消失』は、キョンが「積極的に非日常を守ること」を決意した巻なのである。

それでだ、俺。そう、お前だよ、俺は自分に訊いている。重要な質問だから心して聞け。そして答えろ。無回答は許さん。イエスかノーかだけでいい。いいか、出題するぞ。


――そんな非日常な学園生活を、おまえは楽しいと思わなかったのか?


答えろ俺。考えろ。どうだ? おまえの考えを聞かせてもらおうじゃねえか。言ってみろよ。


あからさますぎるほどに、これはキョンから読者への問いかけである。「おまえらは物語の中に入りたくないのか?」。そして彼は“エンターキー”を押して――実際に物語の中へと入っていってしまう。日常を捨ててしまう。なにも起こらない日常と、ラノベの中の非日常とを天秤にかけて、キョンは後者を選択したのである。


で、キョンの問いかけに答えなきゃいかんだろう。無回答は許さないらしいから。


俺はもちろん“エンターキー”を押す。


あなたは押しますか?