WINDBIRD::ライトノベルブログ

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オタクの廃止された世界……

2006年のオタク廃止宣言、そして2008年に成立したオタク廃止法により、オタクは伝説の中だけの存在となった。オタクの風俗を伝える書物は全て焼き捨てられ、当時の状況を知るものは皆、口を閉ざしたまま死んでいった。――だが。それでも人々はオタクに憧れ続けた。わずかな書物や口伝からオタクたちの姿を想像し、いつか彼らが再び戻ってくることを願った。


そしていま。


もはや密林と化した西太平洋弓状列島のその奥地に、とある考古学者とその助手が足を踏み入れた……。


「……きょ、教授! 信じられません。……人です! 人間がいますよ!」
「お、おお……リュックサックにポスターの二本差し……! あれはまさしく、古代絵画が伝えるところの秋葉ルック……!」
「まさか生き残っているとは……き、奇蹟です……っ!」
「よ、よし、挨拶してみるぞ!」
「はい、教授!」


「も、萌え〜……」
「…………?」


「きょ、教授? 怪訝な顔で見られてますよ!?」
「馬鹿な!? なぜ挨拶を返してくれない? 彼はオタクではないのか!?」
「信じられません! どうして『萌え〜』に反応しないのでしょう?」
「……もしや、この『ダ・ヴィンチ』の記述が間違っているのでは……?」
「そんな馬鹿なっ! 『ダ・ヴィンチ』は多大なる犠牲の元に秋葉原遺跡から掘り出した、現存する唯一のオタク雑誌ですよっ!? それが間違っているとなると、学会……いや、全世界がひっくり返りますっ!」*1
「しっ、しかし、そうとしか考えられん……」
「ぼくが確かめてきます、教授!」


「あの、あなた。あなたは、いわゆる、その、オタク……ってやつですよね……?」
「ぼ、ぼぼぼぼぼくがオタクぅっ? ばっ馬鹿にするのもいい加減にしたまえよ! ぼぼぼぼくがオタクなわけないだろっ!? まままままったく、失礼しちゃうなぁっ! ……う、うわっ! もうすぐ開店時間だよ! くそ! 買い逃したらおまえらのせいだからなっ!」


「……行ってしまいましたね、教授」
「やはりオタクは絶滅していたということなのか……」

*1:ぶっちゃけダ・ヴィンチがどういう雑誌かも知らないけども

なぜ『涼宮ハルヒの消失』は傑作なのか

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060526/1148570661の続きみたいなエントリ。だから、前のエントリを読んでから、このエントリを読んでほしいな。強制はしないけどね。あと、当然ながらネタバレ全開ですよ。


前回のエントリで言いたかったことを一言にすれば「ハルヒを分析するんじゃなくてキョンを分析しようぜ」ということだったのだけども。そういうわけで、『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公・キョンの話。


キョンは何者か。これも一言にできる。「物語に入った読者」だ。


涼宮ハルヒの憂鬱』の冒頭にあるように、キョン=読者の思考というのはこういうものだ。「物語の中に入りたい。しかし、主役にはなるのは怖い」。たとえばそれは、「三国志の英雄たちの中で誰になりたい?」と問われて「諸葛孔明!」と答える心理だ。戦場で戦うのは怖いので、安全なところから戦いを観察していたい……という心理。キョンが考えていたのはまんまこれだ。


涼宮ハルヒ』シリーズが始まった頃から、「実は世界を改変できるのはハルヒじゃなくてキョン」という説が定期的に話題に上る。まあ、さすがにそんなストレートなオチにはならないだろうけども、『涼宮ハルヒ』の構造を考えるとき、この説はあながち間違ってはいないのではないかと思う。非日常を望むキョンの願いを叶えるために谷川流が用意した装置、それが涼宮ハルヒだ。……こういうときに作者を登場させるのは大嫌いなのだけど、それ以外に言い方がないので仕方がない。


しかし前回のエントリを見ていただければわかるように、キョンは全然「軍師」的ポジションには立っていない。むしろ、宇宙人と未来人と超能力者を引き連れて非日常を守る「将軍」となっている。前回のエントリの言葉を使えば、「キョンは観察者を望んでいたはずなのに、いつのまにか干渉者になっている」のである。


では、いつからキョンは干渉者になったのか?


ここで『消失』の話になる。なぜ『消失』は最高傑作と呼ばれるのか。キョンが干渉者になる決意をした巻だからである。つまり『涼宮ハルヒの消失』は、キョンが「積極的に非日常を守ること」を決意した巻なのである。

それでだ、俺。そう、お前だよ、俺は自分に訊いている。重要な質問だから心して聞け。そして答えろ。無回答は許さん。イエスかノーかだけでいい。いいか、出題するぞ。


――そんな非日常な学園生活を、おまえは楽しいと思わなかったのか?


答えろ俺。考えろ。どうだ? おまえの考えを聞かせてもらおうじゃねえか。言ってみろよ。


あからさますぎるほどに、これはキョンから読者への問いかけである。「おまえらは物語の中に入りたくないのか?」。そして彼は“エンターキー”を押して――実際に物語の中へと入っていってしまう。日常を捨ててしまう。なにも起こらない日常と、ラノベの中の非日常とを天秤にかけて、キョンは後者を選択したのである。


で、キョンの問いかけに答えなきゃいかんだろう。無回答は許さないらしいから。


俺はもちろん“エンターキー”を押す。


あなたは押しますか?

ある日、爆弾がおちてきて…ってそれなんてエロゲ?

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060409/1144567863にて「読む」と誓った『ある日、爆弾が落ちてきて』を昨日読み終わったので、それとエロゲを絡めた感想を書いてみる。ネタバレ全開。


俺の感想
http://d.hatena.ne.jp/mizunotori/20060526/1148619563


参考
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20051121#1132601759
http://d.hatena.ne.jp/CAX/20051020/furuhashishort
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各短編の主人公とヒロインの関係まとめ。


ある日、爆弾がおちてきて」主人公には彼女がいる。ヒロインは振られて死ぬ。
「おおきくなあれ」ヒロインとは幼馴染。まだ恋愛関係には発展していない。
「恋する死者の夜」ヒロインは恋人*1だが、既に死んでいる。
「トトカミじゃ」ヒロインとじいさまの恋を主人公が見守る。
「出席番号0番」主人公が好きなのはヒロイン(日渡)ではなく月本。
「三時間目のまどか」出会ったところで終わり。
「むかし、爆弾がおちてきて」カップルなのはヒロインとじいさま。


どれもこれも主人公とヒロインの間にまともな恋愛が成立してねーじゃん。


かろうじて「おおきくなあれ」と「三時間目のまどか」は今後に期待が持てるくらい? これで「エロゲっぽい」はあんまりじゃないですか? エロゲって「恋愛シュミレーションゲーム」なわけででしょ。そりゃもちろん恋愛をメインにしてないエロゲもあるけど、それでも認識としてエロゲ=恋愛じゃないですか。恋愛すら成立してない作品をエロゲっぽいって、そりゃどんな陵辱ゲーかと。


というのがエロゲと絡めた場合の感想でした。
以上。


ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫)

ある日、爆弾がおちてきて (電撃文庫)

*1:に限りなく近い