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ラノベよいもの一度は読んで

限界の近代・限界の思考 〜境界の正当性を巡って〜 - MIYADAI.com Blog

■正統的なロマン派芸術論によれば、芸術とは「現実から虚構へと旅立ち、虚構から再び現実へと帰還したときに、以前とは現実が違った趣きで感じられるようになる」ものです。ところがロマン派には「貧しい現実への帰還など考える必要がない」との立場もあります。
■多少似た分岐が昨今の「オタク文化」にあります。「萌え系」と「セカイ系」の緩やかな分岐がそうです。「萌え系」のかなりの部分は保守的で、『電車男』に象徴されるように「オタクだって本当は現実を生きたいんだ」という常識的な図式で理解できます。
■ラノベ(ライトノベルズ)と呼ばれる小説の周囲に集う「セカイ系」は違います。彼らは確かに「ここではないどこか」を追求し、その意味で「異世界」に遊ぶオタク文化の正統ですが、その「ここではないどこか」にはもはや人間がおらず、いても壊れています。
■優しさと残酷さを同居させる人間といえば文学の正統的主題ですが、ラノベは似て非なるもの。優しい自分と残酷な自分は解離(disassociation)していて互いに関係ないので葛藤もない。或いはカブト虫を殺すことと人間を殺すことととの間に何の差異も感じない。
■敢えて言えば“人間的であろうとすると──マトモな人間たらんとすると──『電車男』の主人公のような「生きにくい系」になるし、人間的であることの実りも大きくはないのだから、むしろ人間的であるのを放棄することで、ラクになろう”という志向が見えます。

セカイ系」もずいぶんと拡大解釈されたもんだが。っていうか、誰が「セカイ系=ラノベ読者」だなんて言ったんだろう。…東浩紀
俺個人に限れば、現実逃避してるのは認める。しかし、ラノベの本質はその多様性にあり、よってラノベをひとくくりにして語るのは不可能だってことが分かっているのだろうか。
最近のラノベは、「カブト虫を殺すことと人間を殺すことととの間に何の差異も感じない」というより、「カブト虫を守るためなら人間を殺すことも躊躇わない」って感じだと思うが。
あとは、まあ「お留守バンシー」でも読んでればいいさ。