http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060421/1145550614#c1147357178
# M.V.Agrippa 『燃料投下致します。
涼宮ハルヒシリーズにおいて主人公キョンの本名は提示されていません(よね?)が、これってなぜなんでしょう?
技法?物語の伏線(未回収or既回収)?
勿論、何の意図もない、という選択肢も考えられますが・・・わざわざあだ名で8巻まで通すってのもなあ。
とはいえ未完のシリーズで、今後どのようにでもなってしまいそうなので、「客観的事実」とかなんとかではなく、解釈や予想・想像・妄想をお願いします。』 (2006/05/11 23:19)
本名がないライトノベルの主人公といえば、「キョン@涼宮ハルヒシリーズ」と「いーちゃん@戯言シリーズ」が双璧ですが、他にも例えば「よーちゃん@しずるさんシリーズ」とか、昨日読んだ『SHI-NO』の主人公とか。他にもあったら教えてください。まだまだたくさん忘れてそうです。
変わったところでは『GOTH』や『キリサキ』などがありますが、あれらは例外だと思います。『GOTH』は特にそうですが、本名が明かされない小説がたくさんあるからこそ、『GOTH』の主人公の名前が伏せられていても読者は不思議に思わないわけですよね。だから叙述トリックが成立する。
では、なぜ主人公の名前が伏せられるのか。
こういうときによく出てくる意見に、「主人公に名前がないのは読者に感情移入させるためだ云々」というものがあるんですけど、そういうの俺は大っ嫌いなので、ここでは考慮しません。
えーと、仮にキョンの本名が清田恭太くんだったとしますよ。そうすると「清田恭太」という名前から想起されるイメージが、読者の認識に影響を及ぼすわけですよね。いや、影響を及ぼすこと自体は悪くないんですよ。小説家はそういう影響を考慮してキャラクター作りをしてるんでしょうし。
ただ、人名にはどうしても縛りがあるわけです。「人っぽい名前」っていう。たとえば、「キョン」っていうイメージを想起させるのは「キョン」という名前しかないわけで、「清田恭太」では「キョン」というイメージを生み出せないでしょう。でも本名が「キョン」ってそれ一体どこのシカ科の哺乳類だ、っつー話になりますよね。だからあだ名として「キョン」というふうにしてあると。
西尾維新は『西尾維新クロニクル』の中で、「今更いーちゃんの本名を明かすなんて無粋じゃないですか」というような発言をしていたと思います。つまり無粋なんですよ。「キョン」という人間離れした名前の持つイメージや、さらに本名が隠されているということ自体にもなんらかのイメージが付随していて、本名を明かしたらそういうイメージがなくなってしまうんですね。
西尾維新がキャラクターに変な名前をつけたりするのも同じような理由かもしれません。なにせ、名前の持つイメージって影響力大ですからね。むしろ一般的な日本人名の範疇に収まらせるのはもったいないでしょう。
以上です。
えーと、自分でも読みにくい文章だと思うんですけど、こんなのでいいですか?
追記:
いま『絶望系』を読み返してたら、なんかそれっぽい記述を発見。持ってらしたら、P68〜69あたりを参照。「悪田邪蛾丸の話」といえば既読者には通じるはず。「キョン」について直接的に言及しているわけではないけれど、その背景を探るための材料として、なかなか面白いと思います。
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